氏神様に茅の輪が設置されていたので、潜ってきました。
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「自分の気持ちが分からない」
「自分の本当の感情が分からない」
これは愛着トラウマを抱えている方にとってはポピュラーなお悩みです。
そもそも、どうしてこうなってしまったのか?と言えば、反応が予測不可能だった養育者からの攻撃を回避したり、適切な協働調整を提供できない養育者のご機嫌を反対にとる立場だったために、自分が本来感じていたはずの感情を抑圧して生きて来てしまい、もはや何を本当は好きで、何が本当は嫌いなのかが分からなくなってしまったためです。
そのため、愛着の傷を回復する過程において、「自分の気持ち」や「自分の感情」を知ることへの憧れは、普通の人以上に強くなってしまうのです。
わたし自身、この憧れをずっと抱えて生きてきました。
「自分の本当の気持ちが分かれば、相手に合わせすぎることもなくなるんじゃないか?」
「自分の本当の感情が分かれば、相手に無下にコントロールされないのでは?」
「自分の感情が分かれば、事前に危険な関係を回避できるのでは?」
そんな風に思っていたような気がします。
ですが、この「自分の気持ちが分かる」ということを、かなり誤解していたことを後々知ることとなるのです。
私はずっとこう思っていました。
「ヘルシーな愛着の元に育った人と言うのは、出来事に際し、”この感情は不快だ”、とか”この気持ちは怒りだ”、”この感覚は安心だ”と、即座に識別できているに違いない」
と。
ですが、そんなくっきりな状態を求めていた時には、いつまで経ってもその状態にはなりませんでした。なるどころか、ますます混乱していきました。
では、ヘルシーな方の感情探知の実際はどうだったのか?と言うと、彼らの「自分の気持ち」というのは、驚くほど曖昧で、グレーで、どこかスペクトラムなものでした。
「何となく、これは気持ちよくない感じがして・・・」とか、
「どこか、納得いかないというか、モヤモヤする・・」とか。
そう言った理由で、申し出を受けたり、断ったりしていたのでした。
私は、もうびっくりです!そんな感じでいいの?!って。
そんなぼんやりな感覚で相手に失礼にならないの?!みたいな。
ですが、この、「なんとなく~・・・」「どこか~~~な感じ・・」
これこそが、愛着不全の方たちが年月を経て失っていった、大切な生きる機能だったのです。そして、はっきり感情を感知できない自分は、自分の気持ちが分からない・・と、思い込んでいくに至る落とし穴だったのです。
私がクライエントさんにおススメいているのは、1日の終わりに、今日あった主たる出来事を紙に書き出して、その出来事がどんな感じかをメモにして残すワークです。
例えば、
①「お友達がわざわざ遠くから逢いに来てくれた」→人と繋がれて嬉しかった。胸の上の方があったかい感じ。
②「立ち寄ったお店で、店員さんに自分だけが冷たい態度をとられていた気がする」→足元がざわざわする。胸がチクチクする。瞼の上がどんと重たい。肩が重たい。
③「お気に入りの花が咲いていたので、写真を撮った。」→頭の上がふわっとする。胸の上が柔らかい感じ。
こんな風に。
そして、ここからがポイントですが、①と②と③を個別にではなくて、①+②+③にして、ぐるんぐるんミキサーに入れてスープにする感じにしてみるんです。さて、どんな感覚を感じますか?私は、全体としては甘さと爽やかさの中に、どこか苦味のある感じかな?と感じられました。
このワークを続けていくと、ある時、複雑な感情や気持ちを、曖昧でダメ!ではなく、そうあってもいいんだと受け入れられるようになっていきます。
そして、「なんとなく・・だから」、「理由はわからないけれど・・だから」と、ヘルシーな方たちの言うような感覚を持てている自分に出逢えるでしょう。
逆に、「はっきりし過ぎる過ち」や「正しすぎる過ち」にも気づけるようにもなっていきます。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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