わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

どうしてそれを30年前に言ってくれなかったの?

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 これまでずっとわたしは親にとってどうやら「親不孝娘」だったようです。ことあるごとに、「みゆきは本当に親不孝」とよく言われてきました。

 

 例えば・・・

 

「これからって時に、ピアノを辞めるだなんて親不孝」
「そろばん、もう少し頑張れば段が取れたのに。今辞めるの?親不孝」
「男の子と夜一緒に並んで塾から帰ってくるなんて親不孝」
「地元に一緒に帰らず、東京に残るだなんて親不孝」
(高校時代わたしは赴任地の東京から先に地元へ戻った両親には
同行せず、東京で一人暮らしをして高校を卒業しました。)
「地元の国立大学じゃなく東京の私大へ行くなんて親不孝」
「心理学部だなんて親不孝しないでもっと将来役立つ学部を選べ」
「どうしてフランス語学部なんだ?英語にしとけばいいのに。親不孝」
「地元の会社へ就職せずに東京で働くなんて親不孝」
「せっかく就職した会社を3年で辞めるなんて親不孝」
「長女のくせに婿を取らずに長男と結婚するなんて親不孝」
「孫の顔を見せてくれないなんて、親不孝」
「日本に親を残して海外へ赴任するなんて親不孝」
「お盆に帰省しないで旅行にいく?!親不孝」
「また仕事辞めたのか。いつまでもフラフラして親不孝」
「犬なんて世話のかかる動物を飼ったのか?!親不孝」
(初代ベルをアメリカで飼ったとき)

 

 

とまあ、とりあえず今思いつくだけ列挙してみましたが、まだまだ書き忘れているものがあると思います。改めて書いてみて思ったのですが、これじゃあ、健全な自尊感情なんて育ちませんよね。^^;”ことごとく”ですもん。無理もない。そして、「親不孝」という言葉に自分の行動がどれだけ「条件づけ」されてきたのかも理解しました。

 

 

 そんな「親不孝娘」だったわたしでしたが、この間、おそらく初めてではないでしょうか?

 


「いつの間にこんな親孝行娘になって・・・」

 

 

と父にLINEの画面越しに言われたのでした。

 

 その際、別段特別なことをしたり、言った覚えはありません。父が倒れてから、入院中は手紙を書いたり、退院してからは、マメに電話をしたり、ビデオ電話をしているだけです。実を言うと、この歳になって大学に、それも30年前には「心理学なんて・・」と言わしめた学部の学生になっていることを両親にはずっと(足掛け1年以上)内緒にしていました。また例の「親不孝」が飛び出すのが鬱陶しかったからです。でも4年次は必修の絡んだスクーリングが多いため、急に介護に来いと言われても行けないので、思い切って打ち明けることになりました。すると、父からの返事は・・・

 

 

「そうか。いくつになっても学ぶことは大事だからな。ボケ防止にもなるしな。みゆきはカウンセラーの先生になりたいのか?向いてると思う。頑張りなさい。」

 

 

という呆気ないもの。わたしは、思わず仰け反って脱力しました。「わーい!やったね♪」の意味でではありません。そして、通話を終えた後に叫びました。

 

 

「どうして、30年前にそれを言ってくれなかったの!!!」

 

 

と。そうしたら、遠回りなんてしないで自分の歩みたかった道を、もっと自分に自信を持って過ごしていたかも知れないのに。こんなにもややこしい人間にならずに済んだかも知れないのに!遅い。遅いよ。もう。人生いつからだってやり直せるってよく聞くけど、それはある人にとっては本当でもあり、やはり気休めでもあると思う。物理的に過ぎ去ってしまった時間は、取り戻せないもの。あーあー。何この虚しさ。何この茶番劇。もちろん、「今だからこそ向き合えている」ことだってあると思う。それは認めるよ。だけど、だけど・・・。

 

 

 すっきりしないこと、うん、そうだよねって笑えないことって、人生にはあると思います。今は、許せないことも、いっぱい。「それも親の愛だったんだよ」なんて思えないことも。軽々しく「愛情だったんだよ」なんて他人に言ってほしくないことも。だから今は、無理して気持ちに折り合いをつけようとせずに、そのままでいいことにしました。このモヤモヤを背負って生きてゆくのは、親でも他人でもない「私」なのですから。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき