わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

二人の父

Sonyα7Ⅲwith carlzeiss planar 50mm f1.4

 

 実家の父の容態が一進一退、遅々としてなかなか凪の時を迎えられません。身体に合っていなかったと思しき新薬を絶ってから、もうじき1ヶ月になろうとしているのですが、吐き気も相変わらずあるそうで、これなら喉を通るのでは?と先日届けた、介護用の栄養ドリンクも、やっぱり飲めないとそのままになっている様子。正直、本当に参りました。

 

 昨夜の母からのLINEのメッセージには、

 

お父さんは相変わらずで食べれたり食べれなかったりです。リハビリの人やヘルパーの人が来ると元気に振る舞っています。夜眠れないようでお休みの挨拶に行くと切なくて泣いています。どうして良いか困ってしまいます。

 

とあり、読んでいて胸が痛みました。先月帰省した時にも感じた違和感だったのですが、父は外部の人が来るときだけは、わたしたちの前で見せている態度が嘘のように元気を装うのです。これは恐らく「入院」を回避したいためだと考えられるのですが、それでは周囲への負担、特に母への負担が増えてしまうのです。

 

 

 もうひとつ父の様子で気になるのは、感情の結界驚くほど脆くなっていること。また、言動に幼児退行も見られます。これは、身体が元気だった時は、主人格が抑圧できていたパーツ(副人格もしくはインナーチャイルド)の歯止めが利かなくなっているためだと思うのですが、母の方はそんなことは思いもよりませんから、これまで通り、ひとりの成人男性だと思って父に接しているのでしょう。でも、それでは今の父の不安な気持ちは、満足に受け取めてもらえない可能性が高いわけです。かと言って母に、「父を小学校5年生の男の子だと思って接して!」と言ったところで、「は?何を言ってるの?!そんなの意味が分からない!」と拒絶されて終わりでしょう。

 

 来週また実家に帰省しますが、父がいま、本当に感じていること、下ろしたい負荷をどれだけ聴きだして、解放できるかが鍵だなと思っています。娘のわたしの前でそれができるかどうか、限りなく難しいことではあるのですが。とにかく、この精神状態のままで父をあの世に送るわけにはいきません。生きている内にしかできないことがきっとあると思うので。

 

 

 実家の父の終末期に接していると、どうしても義理の父の同時期と比べてしまいます。義父は亡くなる前の4年間、透析をして過ごしていました。透析が始まってから間もなくして、義父は東京の家を売却し、生まれ故郷の北海道へと義母を伴い引っ越していきました。

 

 東京の大学を出てすぐに起業した義父は、今風に言えば青年実業家で、事業を畳むまでの40年間は、それこそ、不動産、飲食、あらゆるサービス業を手掛けてきました。が、お人好しのお坊ちゃま気質だった義父には、商才がそもそもなかったのでしょう。ある時は、身内に資金を持ち逃げされるなどし、尽く失敗。義母や息子たちに経済的にも迷惑をかけっぱなしだったそうです。加えて、女性関係も派手だったようで、自宅にはしょっちゅう知らない女性から電話がかかってきたと夫から聞きました。さらには、裏社会の方々とも時々渡り合っていたそうで、怪しい綺麗な入れ墨をした人たちが、自宅兼職場に当たり前のように出入りしていたとか・・・。

 

 

 客観的に見ても、夫の家庭環境が子どもにとって健全だったとは、私にはどうしても思えないのですが、義母は義父のことを「しかたのない人」と言いながらも、とても好きな様子だったし、彼らの子どもである夫と弟も、両親のことを「ダメな親、しょうもない親」だと、こき下ろし、愚痴りながらも、ヘルシーな愛着と精神発達を遂げて、羨ましいくらい逞しく、見事な社会適応を果たしています。「ダメな自分」というものへの恥や恐怖がないのでしょう。何をするにも、実に、のびのびしているのです。

 

 義父に関して言えば、北海道に戻ってからは、透析のない日は、妹弟たちや地元の同級生と集っては出かけ、誘いの電話が来ない日はなかったと後に義母から聞きました。あらゆる人たちに迷惑をかけ、「どうしようもない人」、「困った人」と呆れられながらも、どんな人からも愛され、放っておけないと思われていた義父でした。最期は肺炎で逝った義父ですが、その前日まで友達と遊びに出かけていたそうです。義母曰く、穏やかな死に顔だったそうです。

 

 

 一方で、品行方正。曲がったことが嫌い。「他人様に迷惑をかけてはいけない」、「受けた義理と恩は石に刻んででも忘れるな、必ず返すべし」、「人の道に外れることを絶対にしてはいけない」を生きる指針として、自分にも家族にも強く言い含めてきた我が父はと言うと、会社員を引退してからは、慕ってくれる部下の気配もなし。地元に住んでいるにも関わらず、家に同級生が遊びに来たことは、わたしの記憶にある限り、一度もありません。浮気や外に女性がいたことも皆無でしょう。町内の皆が嫌がるような役員も率先して引き受けていたけれど、病で自分が動けなくなった時に、助けてくれた人は、裏に住む母と親しいKさん以外、いませんでした。経済的には、何ら家族に苦労をかけてきませんでしたが、娘たちには疎まれ、恨まれ、時には「人生の障害物だから、早く死んでくれないかな」とまで思われていた父でした。誰よりも「正しく」生きてきた父は、最期を迎えようとしている今、とても精神的に孤独です。

 

 わたしが父を見ていて、今とても切なく苦しくなるのは、同じ人生規範を強要され、びっしりと刷り込まれて育った自分が、父と同じような末路を辿るのではないかと思えてしまうからかも知れません。だからこそ、死に直面している父を、自分の来し方に絶望したまま逝かせてはならないと、どうしても思ってしまうのです。

 

 父がそう生きざるを得なかった理由・背景は必ずあって、子どもだった父の努力ではどうにもならなかったことがあるはずなのです。そのことを、非言語でもいいから、どうにか伝えられないものかと・・・。そこに、父の、もっと言えば、わたしたち家族の「癒し」の鍵があるような気がしています。

 

 

☆きょうも最後までお読みくださり
ありがとうございました^^

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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