職場や学校、趣味の集い等で、他人からアドバイスを受けることってあると思います。時々それは、自分が全く気付いていないことだったり、新しい発想だったりして、「ありがたいなあ・・」と感じています。
しかしながら、私とて「ありがたいなあ・・」などと心から感じられるようになったのは、ここ数年のこと。
以前は、そのアドバイスの内容がどうあれ、
他人からのアドバイス=自分が劣っている、改めよ!という攻撃
だと思っていました。
思っていました・・・というのは、少し語弊がありますね。
正しくは、
頭では一生懸命それを受け止めようとしていた。
「ありがたいな」と思おうとしていた。
けれど、私の自律神経系は、ほぼ自動的に、
攻撃されたぞ!闘え!逃げろ!それが出来なければ、自分の存在を消せ!
と反応していたことになります。
愛着の傷を持った人と言うのは、幼少期から自分の意見を持ったり、自由に述べたりすることを禁止されて育ってきました。もし、自分の思うとおりに行動したら、非難され、叱責をかいます。悪くすると見捨てられ、生きていけなくなる。だから、「自分の意見を言う」とか「思うとおりに行動する」と言うのは、命に係わる行為。そして、相手を刺激し、不快にする行為。自分さえ我慢すれば、その場が平和になる。
その認知はそのまま裏返って、
「自分が思ったままの意見を述べる=相手に対する攻撃」
と自律神経系が学習をしています。
(*これが俗に複雑性PTSDと呼ばれているものでもあります。幼少期以外にも、長期に渡っていじめにあっていた子どもたちなども、同じような心の動きをみせます。)
なので、たとえ親切心からだとしても、同僚や上司、友人や先生からのちょっとしたアドバイスでさえ、「攻撃された!」と受け止めて、すぐにかっとなったり、自分さえ居なければいいと極論づけたりしてしまうのです。いづれの場合も、人間関係を長期的に保持することは困難となります。
では、このような自律神経系に刻まれたトラウマをどのように癒してゆけば良いのでしょうか?
私が行ったサイコセラピーでは、とにかく先ず、自己の「内受容感覚」を取り戻すことでした。言葉にすると難しそうですが、簡単に言うと、自分の「快・不快」に、身体感覚を通して気づき、それを感じることを自分に1つ1つ許していくことでした。
愛着の傷を持っている人は、自分でも驚くくらい非意識に、心と身体を切り離すことに慣れてしまっています。なぜなら感情を身体で味わうことが辛すぎたからです(乖離)。ですが、身体の感覚スイッチを切ることで、本来ならば身体が教えてくれる危険や安全のサインを正しく機能させることが出来なくなってしまいました。そのため、本当は危険な人物を信頼して、結局は搾取されてしまったり、安全な人物を敵と判断して縁を切ってしまったりと、人間関係で大変苦労をしたことと思います。ですがこれは、すべて自律神経系があなたを守るために必死で反応してきただけであって、あなたの性格が悪いわけでも、人を見る目がなかったわけでもありません。
傾聴が進んでいく過程で、少しずつ自分の身体感覚を取り戻せるようにアプローチしていきます。失ってしまったものは、取り戻せないかも知れませんが、ここから、新しい自分なりの安心・安全を創造していきましょう。そのお手伝いを微力ながらさせていただいております。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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