わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

自己愛が暴走する時期をどう扱うか

 

 最近、カルトや霊感商法、偽宗教での弊害が世の中で取り沙汰されているので、そこに働く人間心理を読み解くのに、何か参考になる文献はないかな?と探していると、たまたまこの本に出会えたので読んでみました。

 

 

 

 

『教団X』中村文則著。2012年~2014年にかけて、「すばる」で連載された長編小説。書籍での出版は2014年。となると8年前に出版された本ということになりますが、今だからこそ、改めて神妙に響いてくる内容だなと感じました。

 

 

 カルトや洗脳に関する書籍は、これ以外にも、篠田節子さんの、

 

 

 

や、

 

 

 

 

でも触れましたが、『教団X』は、観念的というよりは、人間臭い闇の部分を容赦なく描いている作品だなあと感じました。暴力的かつ性的な描写が頻発しますので、トラウマのある方にはお薦めするのを躊躇します。

 

 

 心身ともにヘルシーな生活を送っている方にとっては、カルトやわけの分からない似非宗教にハマってしまう人の気持ちを理解しろと言うのは難しいことと思います。

 

 例えば、物心ついた頃から、虐待(肉体的・心理的)や、ネグレクト、いじめ、性的虐待を受け続けてきた人が、ある日突然、

 

「あなたには生きる価値がある」
「あなたは大切な存在」
「あなたは素晴らしい」
「あなたは神の子です」

 

と当たり前のように言われ、愛おしく抱きしめられ、話を丁寧に聴いてもらえ、殴られたり、無視される代わりに、笑顔と受容で迎え入れてもらえたら・・・・。

 

 

わたしは、カルトや偽宗教に、「生きる救い」を見出してしまう人を、愚かだと責める気にはどうしてもなれません。仕方がなかったのだと思うのです。

 

 

そして、このブログを長くお読みになっている方にはお察しがつくかと思いますが、カルトや似非宗教、霊感商法の被害に遭いやすいのは人間関係が「支配・被支配」の構図となりやすい愛着へのトラウマを持っている方が多いのではないか?とわたしは推察します。

 

 

「あなたには生きる価値がある」
「あなたは大切な存在」
「あなたは素晴らしい」
「あなたは神の子です」

 

 

これらは、愛着にトラウマを持った人たちが、砂漠で水を欲する如く、喉から手が出るほど、心底から求めてきた言葉だからです。

 

 

でも、よくよく考えてみると、これらの言葉は多くのメジャーな宗教のコミュニテイでもよく聴かれる言葉ばかりです。

 

 

では、健全な宗教と、似非宗教・カルトとの一番の違いはどこにあるのでしょうか?

 

 

わたしは、「自己愛の暴走」を、その教義や場が、どう取り扱っているかにあるのではないかと考えます。

 

 

 

 愛着にトラウマを持った方が、

 

「あなたには生きる価値がある」
「あなたは大切な存在」
「あなたは素晴らしい」
「あなたは神の子です」

 

 

という言葉を投げかけられ、トラウマが癒されていく過程の中では、必ず「自己愛の暴走」の時期を通過しなければなりません。

 

これは、簡単に言うと、それまで

 

「わたしには生きる価値がない」
「わたしは取るに足らない存在」
「わたしはダメだ」
「わたしは虫けら以下だ」

 

 

と極端に抑えつけられてきた自我が解放され、反対のベクトルへと向かう際に、さじ加減が分からず、極端な行動に走ってしまうことを指します。

 

 

 例えば以前、SNSで緩く繋がっていた知人に、こんな女性がいました。

 

 その女性、Aさんは(彼女曰く)、もともとある「精神疾患」を患っており、そこに「愛着問題」を抱えていました。自己主張は殆どなく、性格は穏やかで大人しい、道端に何気なく咲いているタンポポのような笑顔が魅力的な女性でした。

 

 ある朝、SNSを見ると、わたしは自分の眼を疑いました。なぜなら、そこにはAさんが全裸であられもない恰好をした写真が何枚も投稿されていたからです。何かの悪戯だろうかと思いましたが、紛れもなく、彼女ご本人の投稿でした。

 

 Aさんがとあるスピリチュアル系コンサルタントの上客であるのは、有名でした。そのコンサルタントは所謂「視える」ことを売りにしていて、クライアントの悩みをある技法を用いて解決することを得意としていました。コンサルに集まってくるのも、「毒親」問題を抱えている方が大勢いたように思います。

 

 Aさんは、そこで知り合ったカメラマンに(彼女曰く)ポテンシャルを認められたそうで、写真集を出版し世界の女性をけん引する存在となる、女神となって世の中に奇跡と変革を起こすのだと、驚くほどパワフルでアグレッシブな発言をするようになっていました。周囲の関係者たちも、「素敵!」、「すごい!」、「その調子!」と手放しで讃えていました。

 

 

 当時、この状況をわたしは言いようのない違和感を持って眺めていたわけですが、精神病理学を学んだ今のわたしには、このAさんのあまりに変わり果てた、それまでとは真逆ともとれる極端な症状が、何を意味しているのか理解できます。このコンサルタントは、Aさんがもともと抱えていた精神疾患にとって、絶対にしてはならない致命的なミスを犯してしまったのです。

 

 

 結果、どうなったか?数ヶ月後、彼女はSNSから忽然と消えました。取り返しのつかない数の、デジタルタトゥーを残して・・・。その後、Aさんがどこで何をしているのかはまったく分かりません。入院など適切なケアを受け、生きていてくれればいいなと願うばかりです。

 

 

 重い愛着のトラウマが癒されていく時、必ず反動で「自己愛の暴走」の時期が訪れます。

 

「あれもやりたい」

「これもやりたい」

「こんなことだって自分には本当はできる」

「だって、わたしは神だから!」

 

 

この幼児的万能感は麻薬です。

 

それまでカチンコチンな氷で閉ざされていた水面が、ぬくもりを受け、ぐじゃぐじゃに溶けていく段階と同じだと思ってみてください。

 

 

 氷の中にじっとうずくまっていた人は、外に出られるようになりますが、自分自身の足場が脆く、まだ立てない状況です。そこで無理に氷の上に立って動こうとすれば、その様子は、まるで奇妙なダンスを踊っているかのように見えてしまいます。

 

 

 溶けた氷を確認しながら、少しずつ、泳ぎを覚え、氷から氷へと渡りながら、岸へと向かい、足場を確認し、陸へと上がり、大地を一歩、一歩踏みしめて歩き出す。その繊細なプロセスに伴走するのが、愛着トラウマのカウンセリングなのです。そして、本当の意味で、生きる糧となる宗教(スピリチュアル)を説く現場では、それが為されているはずです。

 

 

 最後に、『教団X』の最終章に出てくるフレーズを引用して終わりたいと思います。

 

「・・(前略)世界の中にある何かは、自分に対して優しいと。・・・味を感じられない人も、他の何かを感じるでしょう?美しい風景。風景を見られなかったとしたら、美しい音。音が聞けなかったとしたら、温かな感触。感触も感じられなかったとしても、夢は見られる。生きていたら、その中で、どんな小さなことでも肯定できるものがある。私達は、全ての人達がこの世界の一部でも肯定できるように、一つでも多く、そういう肯定できるものを増やすことができるように、努力していきましょう。善を行うことに構えてはいけません。気軽な善でいい。(中略)そうやって、日々の中で、少しでもいい。何かに関心を持って世界を善へ動かす歯車になりましょう。」

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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