あなたは人から
「あなたの好きにしていいよ!」
「自由にしたらいいんじゃない?」
「やりたいようにしたら?」
と言われた時、身体と心にどんな反応が起こりますか?
自分だったら、
「OK、やったね!」
「了解!そうするね!」
と返事をし、やる気と心地良さがみなぎってくるんじゃないかな?と想像できる方は、ヘルシーな愛着(他人との対等な境界線)とヘルシーな自律神経(自分はこの世界にそのままで存在していても安心・安全)で生きられている方ではないでしょうか?
ところが一方で、
「自分のしたいようになんて分からない・・」
「自己主張して相手を不快にさせたかも・・ごめんなさい。」
「わたしをひとりにしないで!」
「わたしを見捨てないで!」
と、急に身体と心が緊張しはじめ、”自由にしていい”と言った相手にしがみ付いたり、ご機嫌をとりはじめてしまう・・と言う方はいませんか?
もし後者である場合、あなたには何かしらの愛着トラウマがある可能性が高いです。
話は少し逸れますが、昨日10月16日にNHKで放送された、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の中で、小栗旬さん演じる北条義時が、源実朝に自分の息子の家臣を御家人にするべく提案していましたよね。ですが、普段であれば従順な実朝は、なぜか今回はそれを「嫌だ!そうすべきではない!」と、拒否します。そこですかさず、義時はこう言うのです。
「鎌倉殿の仰る通りです。ならば、そうしてください。ですが、もう私はあなたの政には必要ないようですね。これからは、あなたの決めたままに、自由になさってください。私は伊豆に引っ込みます。」
と。
ここで、実朝がヘルシーな愛着を持っている人なら、
「わかった。そうする。義時は伊豆へ隠居せよ!」
となるはずなのです。が、実朝は、
「わたしが悪かった。お前の言うとおりにする。どうしたら良いのか?」
と、逆に義時の機嫌を取る動きを見せます。義時は、しめしめとばかりに、
「あなたはただ、わたしの言う通りにし、見守っていてくださればよいのです。」
と告げ、暗に自分に意見などするな!と促します。その後、実朝は自分の存在価値に絶望し、正室の姫にだけ、己の心の苦悩を明かすのでした。
もうこれね、典型的な愛着性トラウマの反応と、それを支配する側の手口そのもので、わたしはドラマを見ながら、「あ゛~~~~~!(涙)」と、嘆息してしまいました。
(あのドラマの脚本上ですが)小さいころから実朝は、強い父(頼朝)と自己主張の強い兄(頼家)を見て育ち、どうしたら彼らに嫌われずに済むのか?どうしたら生存許可を得られるのか?で緊張感でいっぱいいっぱいだったと思われます。母の政子とは共に過ごせず、養育者は乳母だったはずですし、健全な愛着が育つような成育環境だったのかは疑問が残るところです。そして、
「君主に対して自己主張する=生存が脅かされる」
という図式が、容易に成り立つ時代でもありました。デフォルトで心理的、身体的虐待環境だったと言っても良いでしょう(そこにプラス心理的ネグレクトも入るでしょうか)。
北条義時は、
「鎌倉殿の仰る通りです。ならば、そうしてください。ですが、もう私はあなたの政には必要ないようですね。これからは、あなたの決めたままに、自由になさってください。私は伊豆に引っ込みます。」
という言葉を用いることで、実朝の愛着トラウマである「見捨てられ恐怖」をまんまと利用したのです。
愛着障碍を抱えた人は、”対等な人間関係”を作ることが苦手です。支配という上下関係でしか、自分の「安心・安全」を感じられる経験をしてこなかったので、必要以上に遜るし、自分が相手を超えようとしたり、優位に立ちそうになると、容易にその地位から降りようとします。悪くすると、せっかく掴みかけた幸せでさえ、(本人は無意識なのだけど)手放そうとしてしまうのです。
そして、わざわざ、自分が利用される人間関係や、見下される立ち位置や、罪悪感を抱きやすい人間関係に身を置くのです。何故か?それは、その方が安心・安全だと、自律神経が勘違いしてしまっているからです。この状態を抱えていると、悲しいかな、本来関わるべき、ヘルシーな愛着を持った人たちとは、上手くいきません。理由は、
「あなたの好きにしていいよ!」
「自由にしたらいいんじゃない?」
「やりたいようにしたら?」
という言葉が、「もう、お前なんて要らない。」「お前なんかもう助けてやらない」と脳内で翻訳されて聞こえてしまうから。
ヘルシーな愛着を持った人は、対等な境界線を持った一人の大人として関わりましょう!と提案をしてくれているにも関わらず・・です。でも、そこに耐えられないあなたは、勝手に「見捨てられた!」と勘違いして、彼らとの縁を切ってしまうのです。
そして、代わりに、搾取され、利用する人間関係にずーっと身を置いてしまう。これが、愛着障碍の方がいつまでも、負のループから抜けられない理由です。
わたし自身、このループから抜け出すまでに、本当に苦労したし、今も気を付けていないと、簡単に自分自身を必要以上に遜る関係に身を置いてしまいそうになります。
さて、関わってはいけない人の見分け方ですが、ひとつ言えるのは、その人と一緒に居て、なぜか自分が相手に対して”悪いこと”をしていると感じる(罪悪感を抱かされやすい)関係からは、離れた方が良いように思います。支配をする人というのは、言葉にこそしませんが、常に、
「お前は、まだまだまだまだ与え足りていない」
というメッセージを発しています。
例えば、スーパーでおでんの具の買い物を頼まれたとしましょうか。あなたは相手の好みが分からなかったので、自分が思いつく限りのネタを買ってきたとします。すると、ヘルシーな関係の相手からは、
「こんなに、たくさん!ありがとう!」
と感謝されて終わりです。ところがあなたを搾取する支配者はこう言います。
「ほんと、ありがとう。でも、ちくわぶって、関西ではあまり食べないのよね~。
ごめんなさいね。最初に知らせておけば良かったわよね。」
両者の違いが、分かりますか?言葉尻はどちらもあなたに感謝しているように聞こえるけれど、後者の言い分を聴いた時の、あなたの身体の反応をしっかり感じて欲しいのです。このざわっとした体感が、危険人物から身を守るために重要なのですが、既に体感覚を麻痺させられてしまってる方も多いかも知れませんね。この喩え話が、
「あ、わたし、罪悪感を植え付けられてたかも!?」
と、あなたの無意識に、ささやかでも気づきの一石を投じられれば幸いです。もし、自分の感覚が麻痺している気がする・・という方は、一度傾聴でお話を伺います。下記からご連絡くださいね。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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