わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

何かを信じることの尊さと危うさ

Sonyα7Ⅲ with Sony20㎜ f1.8 G

 

 

 今朝はインスタで以下のような投稿をしました。

 
 
 
 
 
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A post shared by さとうみゆき (@miu___sato)

 

 

以前にもブログでご紹介した、中村文則著の『教団X』についてです。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

インスタでは長くなるので割愛しましたが、加筆したいと思います。

 

わたしは、カルトや似非宗教による悲劇というものは、

 

 

我々に元々備わっている、「何かを信じる」ことを「快楽」だと感じる性質と、それを利用し、悪用する側とのマッチング(需要と供給)によって生まれるのではないかと考えます。

 

 ここで注意したいのは、「何かを信じる快楽」というのは、誰にでも備わっているという事実です。つまりこれは、誰もがカルトや似非宗教にハマる土台、可能性を持っているということなのです。

 

 

 そう考えると、「あんなものにハマって大切なお金を溶かすなんて・・・」と被害者を責めることはできなくなります。やはり悲劇の諸悪の根源は、人間の「何かを信じる快楽」の素質に付け込んで、利用してくる輩だと言えるのではないでしょうか?

 

 

 現に、大好きなアーテイストの推し活などに没頭しながらも、だからこそ日々を生き生きと過ごせている人たちだって大勢います。ただここで、そのアーテイスト側が、ファンの「自分を信じる快楽」を利用して、特定の健康食品のネットワークビジネス等の勧誘を始めたとしたらどうでしょうか?推し活の意味合いが、変わってくると思いませんか?

 

 「何かを信じる」気持ち。それは尊いものです。そして、その気持ちに自分のすべてを委ねることは、一種のトランス(快楽)をもたらします。ただ、そこに溺れてしまわないこと。そこに自分の意思、選択の基準の余地・遊びを必ず残しておくことは、忘れずにいたいものです。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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写真を眺めてほっと一息^^  

 

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