わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

自分と同じ何かを「好き」という人に出逢った時

 

 今日は久々の晴れ間となりそうですが、気温も急に高くなるのだとかで、夏が超絶苦手なわたしにとっては、いよいよ試練のシーズンのはじまりでもあります^^;。

 

 

 さて、あなたは自分と同じ何かを「好き」という人に出逢った時、普段どんな反応をしていますか?

 

「え?そうなの?!
わたしも好きなの!同じだね!嬉しいな~!」
「じゃあ、こんど一緒に〇〇(その好きなこと)しませんか?」
「わたし、〇〇持ってますよ!よかったらお貸しますよ!」

 

 

恐らくですが、8割以上の方が当たり前のように、こんな風な反応をされるのではないかと推察します。そう、基本そこに流れている感情は、「快」であり「歓」であり「嬉」でありましょう。

 

 

ところがですね・・以前のわたしは違ったんです。目の前で、 

 

「え?そうなの?!
わたしも好きなの!同じだね!嬉しいな~!」
「じゃあ、こんど一緒に〇〇(その好きなこと)しませんか?」
「わたし、〇〇持ってますよ!よかったらお貸しますよ!」

 

と歓喜している人に、自分の大事にしている”それ”を奪われてしまうような、侵略されてしまうような、どちらかと言えば、「不快」であり「恐怖」であり「苦痛」を感じて身構えていたように思います。

 

とは言え、自分でもどうしてそんな反応をしてしまうのか、ずっと謎でした。頭では一緒に盛り上がりたいって思っているんですが、気持ちがどうにも追いついてゆかないのです。

 

 ですが、「愛着障碍」や「発達性トラウマ」について学んだことで、その時、自分の自律神経系に何が起きていたのかが理解でしました。

 

 

 養育者やそれに準ずる人物に、感情の境界線を容易に超えられ、自分の感情を持つことを非難され、自由に表現できずに生きて来た愛着障碍を持つ人というのは、「安心・安全」のリソース、つまり「セキュアベース」を家庭や両親に求めることができませんでした。そこで、独自の精神発達を遂げる過程で、やっとの思いで、手に届く狭い範囲にひっそりと自分だけの”心のよりどころ(安全基地)”を構築していきます。

 

 

それは、

 

ある人にとっては小説の世界だったり
ある人にとっては絵を描くことだったり
ある人にとってはペットだったり
ある人にとってはお気に入りの人形だったり
ある人にとっては大好きな樹木だったり

 

します。

 

そして、それらは彼が生きるために、なくてはならない水や空気と同じくらい大切な愛着対象となるのです。

 

もし仮に、自分以外の誰かが「それ」を「好き」だと意思表示してきた場合、彼らの脳内では、

 

「自分の大切な水や空気(愛着対象)をその人が奪ってしまうかも知れない」
「この人は侵略者だ!危険!」
「わたしにはこれしかないのに!」

 

と変換されてしまうのです。
そこには同じ「好き」を共に愛し擁護し、発展させていこうという概念は浮かびません。なぜなら、そういう経験を与えてもらっていないから。
「自分の好きが見つかってしまったら、非難され壊され奪われる」がデフォルトなのです。
思考では「嬉しい、分かち合いたい」と思っているのに、です。(涙)

 

 

 

 そんなわけで、わたしには長いこと”同じ趣味の友達”というのができませんでした。頭では「つながりたい」と思ってるのですが、どうしてもしんどくなってしまうのです。逆に、異業種・異趣味の友人というのはそこそこ容易にできるのですが。

 

 

 自分のパーソナリテイの副人格の葛藤が減ってきて、愛着の傷が癒されてきたこの頃は、すっかり「同じ趣味」や「同じ言語」を持つ友人たちと過ごす時間の楽しさに味を占めてしまいました。趣味の本なんてどんどん貸し借りしちゃうし、情報交換も活発です。なんでもっと早く”こっちの世界”に来なかったんだろう?!(涙)こんなに楽しいものなのか!と過去の自分にあきれ返ってしまうほどです。

 

 

 同じような葛藤を抱えて寂しい切ない思いをしている方が、もしいらっしゃるようでしたら、それはあなたの心が狭いわけでも、性格に問題があるわけではないかも知れないことを疑ってみてくださいね。^^

 

 

 

 

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写真を眺めてほっと一息^^  

 

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