わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

カメラマンの眼差しに恋した日

 

 展示中に来場者様からよく訊かれた質問。

 

「何がきっかけで写真を始められたんですか?」

 

これは実はとても難しい質問で、人によって答え方を微妙に変えていたような気がします。

 

わたしは信州・諏訪の生まれなのですが、諏訪と言えば精密工業が盛んな地域で有名です。ヤシカ(現:京セラ)、Olympus、セイコーエプソン、三協精機等・・・、当然ですが、親類縁者には関係者が多く、カメラは自宅に当たり前に転がっているような存在でした。以前、こちらの記事でもご紹介した叔父は、世の中にデジカメが出回るようになる数年前から、試作品をお土産だといって誇らしげにプレゼントしてくれたりもしました。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

 その後、本格的に”人に見せるための写真”を撮るようになったのは、2003年にアメリカのアトランタへと渡米したことがきっかけではあるのですが、実はギャラリーでは話せなかった、もう一つの大切なきっかけがあるのでした。

 

 

 その大切なきっかけをくれた人、阿部徹さんとわたしは、わたしが17歳、彼が23歳の春に出逢いました。当時まだ駆け出しのフリーカメラマンだった阿部さんは、わたしの高校の修学旅行の引率カメラマンとして添乗していました。

修学旅行実行委員の副委員長を務めていたわたしの主な仕事は、各グループの旅行計画のチェック・取りまとめと、クラスの集合写真のアレンジメントでした。そんなわけで、東京駅の銀の鈴広場で「こんにちは、写真のことではお世話になります」と軽い挨拶を交わしたのが、阿部さんとの最初の会話らしい会話でした。

 

 

 新神戸で下車し、初日は神戸の異人館めぐりという定番コース。引率のカメラマンの存在などすっかり忘れ、わたしは初めて見る洋館の佇まいに夢中になっていました。あれは確かオランダ館で衣装を着替え、オランダ娘よろしく仲間たちと館内ではしゃいでいた時のこと。ちょうど頭頂部右上のあたりから、誰かに視られているような気配がしました。何の気なしに顔を振り上げると、そこには大きなレンズのついたカメラを構えている阿部さんがいました。それは時間にしてほんの数秒。わたしは、わたしがよく知っている日常の「見る」という動作とは明らかに違う「観る」という視線の配り方を初めて目の当たりにしたのでした。

 

「この人は、いったい、何をどんな風に観ているんだろう?!」

 

今になって思えば、これこそが「カメラマン特有のまなざし」であり、わたしにとっては「カメラマンのまなざしへの憧れ」のはじまりだったのだと確信しています。ところが、人生経験の未熟な17歳の少女にとっては、それが「感性に対する憧れ」なのか、「ひとりの年上の男性への淡い思慕」なのかを区別するのは至難の業。以降、わたしは阿部さんへの不器用で激しい恋心を募らせていくことになるのでした。

 

 

 結局、修学旅行から戻ってから、約10年に渡り、まるで”歪な”兄と妹のような彼との関係はつかず離れずのまま続きました。そんな中、わたしもわたしなりの等身大の恋愛をいくつか経て、1996年、24歳で結婚。式のカメラマンは「僕の大切な妹の為だから」と阿部さんが無償で引き受けてくれました。招待客の中には高校の恩師が出席しており、「この人は、修学旅行の時の引率カメラマンさんです。」と告白したところ、目をまるくして驚いていました。新婚旅行にドイツに行くと告げると、業務用の富士フィルムを3ダースも持ってきたのには、さすがにびっくりでした。結婚式を境に、彼とは年賀状のやり取りぐらいで、しばらく会わない年月が流れました。

 

 

 

 そんな阿部さんから久しぶりに電話が来たのは、わたしが渡米する2か月前の2003年8月のことでした。「今は、女性週刊誌を辞め、サ〇ケイ新聞の報道カメラマンとして働いている」という報告の後、「そんなわけで、これから紛争地域に赴くため、もしかしたら、命の危険があるかも知れない。その前にどうしても声が聴きたくなって。みゆき、アメリカ気をつけて行っておいで。戻ったらまた逢おうね。実は僕も結婚が決まったんだ。今後は山形に住むかも知れない。」と短い会話ながら、嬉しそうに話してくれました。結局、彼と言葉を交わしたのはこれが最後になってしまったのですが・・。

 

 

 彼が紛争地域で負傷し、身体が不自由になり、そのまま亡くなったと知ったのは、わたしがアメリカから帰国し、1年ほど経ってからのことでした。阿部さんと連絡が取れず困り果て、ある時、共通の知人である料理研究家Tさんを思い出し、彼女のHPのブログを見たところ、彼が35歳という若さでこの世を去っていたことを知りました。それはわたしがアメリカに発ってすぐのことでした。

 

 

 何の因果か・・今、わたしは、彼と同じ「写真」という道を歩いています。生まれた家族環境が”カメラとの出逢い”を繋いでくれたのだとしたら、阿部さんは、わたしにとって”写真家のまなざし”の種をくれた人。

 

 

 今回の展示で、『まなざしの行方』というポートレートの写真集を制作しました。作品をチョイスする間中、なぜか彼のことがずっと頭の中から離れませんでした。自分と同じ道を歩んでいるわたしのことを知ったら、彼はなんて言うんだろう?生きていたら、きっとカメラを引っ提げて、”いの一番”で見に来てくれたかも知れないのに・・と、あの日、神戸で初めて出逢った眼差しを、懐かしく思い返すのでした。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 


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