わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

居場所か組織か

 

 あなたには「居場所」ってありますか?

 

 花拾いの庭を立ち上げた時、わたしはその場を「組織」ではなく、「居場所」にしようと決めていました。

 

 

 その際、参考になったのは、臨床心理士である東畑開人氏が、著書『居るのはつらいよ』及び『悲しみとともにどう生きるか』で述べておられる”アジール”と”アサイラム”の違いにみる居場所への考察と、昨年参加させていただいた、NPO法人パノラマの代表理事を務める石井正宏氏による「校内居場所カフェ」養成講座で学んだ事柄でした。

 

 

 

 

 

 

 東畑開人氏は、先ず「居場所」の語源をたどります。

 

古代の用語では「居どころ」といい、この居どころというのは「尻」の意味もあり、「おいど」とも言ったらしいです。つまり、居どころというのは、そもそもお尻をつけていられる場所、座っていられる場所を意味したそうです。

 

そして、

 

特になんもしていないのだけど、そこにべたーと座っておく。それが居場所をつくるということ。「安心でき、自分らしくいられる場所」。

 

 

と述べ、そこでは健全な依存関係(ケア)が存在し、「本当の自己があらわれる」と、精神分析家のウィニコットの言葉を引いています。

 

 

その上で、

 

しかし居場所は次々と消えていきます。なぜ居場所は儚いのか?

 

 

と問題提起を投げかけてきます。

 

 

 そしてここからが非常に面白いのですが、アジールとアサイラムという2つの場が持つ性質の違いと、そもそも私たち人間が持つ物事に”透明性”を求める性質からその理由(居場所の儚さ)を考察していくのです。

 

 

 アジールとは所謂「聖域」のことで、その中に居ればその人の素性がどうであれ、束の間脅威から逃れ、安心を得ることができる場所のことです。日本では昔「駆け込み寺」なんていう場所がありましたが、ニュアンス的には近いと言えます。とは言え、現代に普通に暮らしている我々がしょっちゅう駆け込み寺にいくような状況は現実的にはありえませんから、気分転換のためにいくお気に入りのカフェだとか、図書館だとか、公園なんかもアジールに該当すると考えられます。これらは誰もが入るのも出るのも自由。そして安心、安全・・そう、「居場所」となり得るのです。

 

 一方、アサイラムですが、こちらは完全に人間を管理する場所のことです。ここには絶対的な権力を持った管理者がおり、その場に居る人間の素性はすべて正確に把握され画一的な管理の下で行動を制限します。会社などが一般的にはアサイラムですよね。タイムカード等で行動は管理され、会社の利益という共通目的のために働くことで、会社の管理者から地位や名誉やお給料を貰います。

 

 

 ところがこのアジールアサイラム、ギリシア語のアシロスドイツ語ではアジール、英語だとアサイラム、つまり語源は同じだと言うのです。

 

 

 だからこそかも知れませんが、アジールはそこに居る人がその場所に”透明性”や”意義”、”目的”を求めはじめることがきっかけで、アサイラムに簡単に変容してしまう可能性があるのだと、東畑氏は以下のように述べています。

 

 

お互いにあまり素性を知らないからちょうどいい居場所感があったのに、素性が知られて管理されるようになったら以前のような居心地のよさはなくなり、気がつくとアサイラムになっていた、というふうに。ここには危ういバランスがあります。(中略)居場所のはかなさと難しさはここにあります。

 

 つまり花拾いの庭に置き換えてみるとこうです。

 

主宰者であるわたしが、参加者メンバーの住所、電話番号、年齢、性別をすべて記録し、データベース化し、句会の幹事を持ち回りとし、組織運営のための役割分担を決め、句会の後には管理者サイドで必ず反省会をし、勉強会の日程を決め、参加費を管理し、年度の終わりには、会報を発行し、全員に収支決算書を制作し、配る。さらには、メンバーの技術向上を目標とし、著名な句会への挑戦を義務付け、句会の格を世間に知らしめるため、入選者の数や功績の成果を公に発信する・・・これが、アサイラム的な在り方です。

 

 

 ただ、このスタイルが悪いというわけではありません。実際に著名なコミュニテイ等はこのスタイルで運営されていますし、社会的な信頼や信用も得ているのも事実です。ですが、今回わたしが選んだのは、多少不透明な部分があったとしても、それをよしとできる「居場所」という在り方です。

 

 

 幸いなことに、通常であれば細かな準備を必要とする句会は、オンラインというシステムで進行するため、管理者であるわたしの負担がほぼありません。句会のアカウントは「俳号」のみで登録できますので、プライバシーを一切知る必要も、知らせる必要もありません。句会後にzoomでのシェア会を開いてはいますが、淡々と詠んだ句についての想いを話し、傾聴するというスタイルのため、深く激しい感情のやりとりから、ひとりひとりは守られています。これは感受性が豊かで繊細な方や、愛着トラウマを抱えている方には、安心・安全を感じるための必須条件でもあります。想いのシェアの中で感情が高ぶってしまった時には、その場からいつでも離れていいですよと私も最初に告げるようにしています。

 

 次にNPO法人パノラマの代表理事を務める石井正宏さんですが、居場所を壊す3がり屋と称して、以下の要素を述べています。

 

 

1,知りたがり屋

2,聴きたがり屋

3,教えたがり屋

 

の3つで、3がり屋です。

 

まさに、東畑先生が述べておられることに、そのまま通じることだと言えないでしょうか?わたしはこの3がり屋を知った時、自身の行動をかなり省みました。「あ~ついつい、3つともやってしまっているなあ・・」と。(苦笑)石井先生は、居場所カフェのサポーターに専門知識やキャリアを一切求めない代わりに、この3点だけはしっかり守ってもらえるよう伝えると仰っていました。

 

 

 先の東畑先生ですが、「居場所」について最後にこう述べています。

 

 

 半年も先の予定まで決めるようになるとアサイラムになってしまう。その都度、次の予定を決めて、だんだん参加者が少なくなったらやめるというのがいいんです。みんなが自由になれる居場所であるアジールは、存続を目指すとアサイラムになってしまいがちだということなんです。続けていかなくちゃと思った瞬間にとても窮屈になって、「何でこんなこと始めたんだろう」となってしまう。いつでもやめられる状態がいいです。(中略) だから、ちょっと怪しいくらいがいいのかもしれない。居場所は不透明な方がいい。

 

 

 

 そんなわけで、花拾いの庭はこのような背景を持って誕生した「居場所」です。今のところ、「居場所」として在れているように思いますが、わたし自身が「続けていかなくちゃ」と気負い始めた時には、辞め時かも知れないなあと、今日の記事が、その時の覚書になればいいなと思い、書き留めます。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 


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