NHKの朝ドラ、『おかえりモネ』を毎朝楽しみに観ています。
「物語の展開がゆっくり過ぎて物足りない」とか、「ヒロインが地味すぎる」とか、「物語りがどこに向かっているのかよく分からない」なんて批評もあるそうですが、わたしにはむしろ、あの展開の速さこそが、リアルだなあ・・なんて思うのですが、どうでしょうか?
7月16日。今日のハイライトシーンは、東日本大震災後に亀島を出たいと言って登米に来た理由がモネの口から家族に切々と語られる回でした。
泣けました。静かだけど激しい一幕に。
震災の日、モネはちょうど高校の合格発表で地元を離れて仙台にいたのですが、数日後に島に戻って家族や幼馴染、妹と再会します。皆の無事を喜び、嬉しかったモネでしたが、3月11日にその場に居た人たちと自分との間には埋められない溝、抗えない温度差のようなものがあるのを感じてしまうのです。
その頃のことを、
「あの数日間で、私とみんなは見たものも経験したことも違ってしまって…そのことが段々、後ろめたさみたいになって…」
と、泣きながらやっと告白するのです。
このような心理状態を、「サバイバーズ・ギルト」と言います。これは阪神淡路大震災の時にも見られたもので、生存者が抱く、複雑な罪悪感のことです。現場で実際に被災を経験している人と同じくらいの深刻なPTSDをもたらす場合もあるので、グリーフケアの現場でも慎重に丁寧に扱われるべき事例です。
ところで、今朝のこの場面を見た時、ふと藤田湘子の著書『入門 俳句の表現』の中で紹介されていた”阪神大震災の句”についての批評を思い出しました。
藤田は”感激した句”と称して、以下の3句を紹介しています。
豆を撒く余震これより鎮まれと
地震(なゐ)の塵捨てに出でけり冬菫
震災の夢ばかりなり寒明くる
さらに続けて、震災にはたぶん遭っていない、テレビや写真で見て、連想力で作った句だろうと次の5句を挙げています。
傾きし尖塔にある余震かな
避難所といふ名の広場虎落笛(もがりぶえ)
余震なほ脳裡の凍つる地獄絵図
極寒の柱こけたる神戸かな
寒暁をとよもす活断層の地震
藤田も著書の中で述べていますが、震災を経験した方の句の方が、言葉は変ですが、「日常」に近い気がしませんか?
方や、実際の経験をしていない方たちの句の、極度にスケールが大きく、おどろおどろしいこと。読み比べてみて、正直驚いてしまいました。こんなにも事件の内側に居た方と外側に居た人ではその「主体性」が持つベクトルが違うものなのかと。
つまり何が言いたいのかと言うと、モネが抱えていた身近な友人や家族に対する気持ちの「断絶感」というのは、これぐらいかこれ以上の違いだったのだろうと思ったのです。その誰とも分かちあうことができなかった「孤独」は、いかばかりだったろうと思います。そしてきっと同じ経験をされている方が、実際に居た、否、いまも、居る。
俳句を詠むことにおいても同じですが、どんな立ち位置で人の辛さや、悲しみ、悲嘆に向き合うのか?そのことを深く考えさせられた本日の『おかえりモネ』のワンシーンでした。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき