先日、カウンセリング論の講義の中で、「初学者が心理療法家を目指す際に、必ず通らなければいけない時期」についての言及があり、いろいろと思うところがありました。
それはどのような内容だったかというと、勉強をするほどに自分に混乱が起き、一時それまで当たり前に出来ていたことが、反対に出来なくなったり、下手になったり、不器用になったりする。でも、その混乱を通過すると、新たなエッセンスを統合し、より自分らしくなってゆけると言うものでした。
これは、ちょっとわかるかも・・と思いました。
心理臨床や見立てを学ぶ前までは、「カウンセリング」という現場に対して、どこか甘美な高揚感らしきものを抱いていたように思います。でも、学べば学ぶほど、それはどんどん薄らいでゆき、今となっては「怖さ」や「責任」といった感覚に真っ先に飲み込まれてしまうようになりました。傾聴も、以前は楽しいという気持ちがそこそこあったと思うのですが、今はまともにやったら、クタクタです。自分が何を聴けているのか?ちゃんと受け取れているのか?に終始神経を張り巡らせているからでしょう。都度、本当にまだまだだなあ・・と落ち込むばかりです。
実はカウンセリングだけでなく、俳句についても、今、同じ状況です。
先日から夏井いつき先生の俳句くらぶに入会し、本当に基礎から俳句の勉強を始めました。そうしたら、学ぶ前に自己流で勉強して詠んだ俳句のまあ、ひどいこと!!!!^^;別に自分を卑下するつもりもないのですが、独りよがり甚だしく、恥ずかしくなるほどの駄作ばかりなんですもの。(涙)で、挙句、読み返しながら、8割ぐらい思い切って捨てちゃいました!
でも、こうして過去の自分や生み出した何かが”稚拙だ”と素直に感じられる自分で在れると言うのは案外大事なことかも知れません。なぜならそれは、以前よりも確実に上のステージから過去の自分を客観視できているということですから。
そしてやっぱり「基礎」を積み重ねていくことは、ジャンルを問わず超大事ですね。いくつになっても「基礎」に立ち返れる内省の力を喪わずにいたいものです。
ああ、とは言え、この混乱期。早く終わって欲しい~^^。;
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^