わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

詰め込みは種

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 春の花たちの彩が視界にあふれて外を歩くのが楽しい今日このごろです。夏も、秋も、冬にだって花は咲くけれど、春の花たちの開花に格段の歓びを感じるのは、やはり「冬」と言う生命にとって厳しい季節を越えて咲くからなのでしょう。

 

 

 先週から”心理療法”についての学びを始めました。専門的な内容で歯が立たないかも知れないなあ・・なんて思いつつ、教科書を読み始めたのですが、驚きました!なぜって、そこに書かれていたのは、あらかた自分がこの30年くらいの間にクライエントとして体験してきたセラピー内容だったからです(生きにくい自分のことをどうにかしたくて、いろいろ試してきたもはや黒歴史ですけど。^^;)。

 

 

 クライエントとして臨床の場に居た頃は、その動作を何故行うのか?その質問に何故答えなければいけないのか?等を考える余裕などは当然ありませんから、ただセラピストさんに従うのみでした。いま、自分が受け取ってきたことを、時を経て”理論”を介して確認して腹に落とせたとき、「あー!そうだったんだ!」もあれば、「だから、あの療法はわたしには効果がなかったのね!」とか、「そもそも、カウンセリングとして機能しない環境に置かれていたのね!」と言ったことが、毛細血管のごとく繋がり、大動脈に流れ込み、心臓へと還って来たかのような心地がしています。ようやく、経験と知識が統合していきつつある過程なのだと思います。

 

 

 

 この「経験」と「知識」の統合ですが、昨年(大学3年次)はあまり感じられず、時に焦燥感に包まれたり、「この概念覚えたからって実践で意味あるの?」みたいな稚拙な”ヤサグレ感”にのみ込まれる場面が多々ありました。

 

 

 私たち40代中後半と言うのは、所謂「受験戦争」だとか「詰め込み教育」の全盛期を経て今に至っています。勉強と言えば「1に暗記、2に暗記、3に暗記・・・」だったわけで、その反動で、この世代が指導者の立場になった時に、「個性第一主義」だとか「ゆとり」だとかを言い出すに及ぶのは必然だったとも考えられます。まあ、要するに、「詰め込み教育」へのアレルギーが他の世代に比べて凄まじい世代なわけですよね。そして昨年度の学びと言うのがほぼ心理学の概念や歴史、構造、法則の「詰め込み」だったので、「これってさ~、実践の臨床でどんだけ役立つわけ~?(でもまあ、単位のためだしな~。ここを経ないことには、次に進学もできないしな~。)」等と生意気にも(上から目線で)思っていたのです。学校にもいけず、たったひとり家で学んでいる自分にもかなりモヤモヤしました。机上の学びがなんぼのもんよ?ってな感じでした。


 

 

 それが「あれ?なんか違ってきたぞ?」と思い始めたのは、今年に入ってからでした。高橋和巳先生の心理アセスメントの講義を毎月受けていますが、初回インテーク面接でカウンセラー自身が人間の”心理発達段階”についてどれだけ精緻に理解出来ているかがカウンセリングの成否を左右することを知り、3年次で学んだエリクソンの理論を再度学び直したり、苦手で苦手で仕方なかった生理心理学の脳の機能も、中途半端な理解なままだったので再度復習し直すことになりました。とにかく「基礎」や「概念」が理解できた上に、実践が続くことをこれでもか!ってくらい現場にいる方たちから思い知らされたわけです。そうこうする内に、実践での模擬見立てのエクササイズでも、以前はなかなか立てられなかった仮説がポツポツと出てくるようになってきたじゃないですか!自分でもこの変化には少し驚いています。

 

 

 考えてみたら、「語学」の学びも同じでした。英単語をいくつ暗記していたからと言って、アメリカに行ってすぐに会話が出来るか?と言えばそれは不可能(実際、無理でした)。でも、英単語を知らなくても会話できるのか?と言えばそんなことは当然なくて、知ってなくちゃいけない。「単語」がことばの種だとしたら、それを最初はとにかく自分の知識の畑に、撒いて、撒いて、撒いて、撒きまくって、そこに光、雨、嵐、雷と言った外的経験が掛け合わさって「会話」と言う花が咲く。そしてそれはある日を境にして加速していく。そもそも母国語だってそうやって私たちは獲得してきたんですよね。

 

 

 心理学の学びも同じで、意味が繋がらない「概念」という「種」をとにかく、知識の畑に撒いて、撒いて、撒いて・・・そこに時間はかかっても様々な体験が掛け合わさることで、いつか必要な「花」が咲くのではないでしょうか?(いや、そうであって欲しい!^^;)

 

 

 いま、同じように学びの途上にあって、その膨大さや詰め込みに打ちのめされそうになっている方も、その「種」は必ずあなただけの”経験と言う恵”の元で花を咲かせるはず。その微かな手ごたえをじんわりと感じながら、今日も学ぼうと思います。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

 

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