これまでに読んだ本を棚卸もかねて視覚化できたらな。そうたとえば、バーチャル本棚的なものがあったらいいのに・・・と、そのまま一昨日の晩「バーチャル本棚」とネットで検索したら、こんな場所が見つかりました。
かなり有名なサイトのようなので、こちらのアカウントをお持ちの方もいらっしゃるかも知れませんね。最初の内は、自分の”思考の歴史”を整理できたら面白いかも?くらいに思って気軽に登録作業をしていたのですが、100冊を超えた辺りから、何かこう、うっすらと、一定の「傾向」のようなものが見え隠れしてきてしまい、我ながら神妙な心持になったのでした。
「わたし、写真の仕事をしている割に、写真集とかまったく登録してないわ・・」
とか、
「料理の本が、一冊もないなあ・・・」
とか。
ここに登録できていない、読んだけれどすっかり忘れてしまっている本もかなりあるはずなのですが、意識上に思い出せると言うのはすなわち、今もリアルタイムで影響を受け続けているという自覚がある本たちなのでしょう。つまり、これが、わたし「さとうみゆき」を創っている成分(エッセンス)なのだと思われます。
昔、「本棚をみれば、その人と成りが解る」と言った方がいました。自分の本棚は棚に上げて、わたしはサービスに登録している他の方の本棚を訪ね歩きました。これが実に興味深いのです。共通の本をお気に入りに登録しているから、他の本のジャンルも似ているのかな?と思い眺めてみると、その本以外はほとんどわたしが知らない本だったり。また、こんな作家居たっけ?と好奇心で訪れた本棚が、自分のそれと割と似通っていたり。とは言え、あちこち覗き見をして確信したのは、ひとつとして同じ本棚を持っている人がいないという真実でした。
そんな中、「この方とゆっくりお話ししてみたいなあ・・」と慕わしいような懐かしいような思いが溢れてどうしようもない本棚を見つけました。詳細は書けませんが、登録された本の1冊、1冊に、その人が懸命に生きてきた軌跡を見つけたような気がしてたまらない気持ちになったのです。ひょっとしたら、これはある種”恋”に近い感覚なのかも知れません。本たちが年月を重ねて醸成してきているであろうその人の「在り様」に恋をしていると言ったら語弊があるのか・・・。だけど、この人に逢ってみたいなあ・・と思いました。実際のその人がわたしが想像しているこの人であるかどうかは、”神のみぞ知る”のでしょうけれど。
わたしがバーチャル図書館で遊んでいた翌日、地元の市報の一面にこんな記事が掲載されていました。
それは市の図書館で電子図書館がオープンすると言う知らせでした。今の家を買う決め手となった条件のひとつが「図書館が近い」ことだったわたしにとって、昨年のコロナ禍で図書館が何度も閉館になってしまったことは本当に痛手でさみしいことでした。休館中も図書館の電子化を目指してこつこつ準備をしてくださっていたであろう図書館スタッフの方とシステム開発のエンジニアさんには頭が下がります。本当にありがとうございました。そして、こうなってくると、どうしても一言モノ申したくなるのが、大学図書館ですね。経済力がそこそこある社会人大学生はレポートに必要な書籍をやむを得ず購入すると言う選択肢もありますが、現役生にとっては書籍代はどれだけ大きな出費であったことか・・・。大学図書館が完全電子化されたのなら、使用できないのに「施設利用費」を支払う親御さんたちのやりきれない気持ちも少しは晴れるのでは?と思ってしまいました。わたしも今年は一度でいいから、大学図書館に入ってみたいものです。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき