わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

それはリフレーミングでさえないと思う

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 カウンセリングの技法に「リフレーミング」と呼ばれるものがあります。
「フレーム」=「枠」それを「リ・フレーム」することですから、簡単に言えば、ある出来事を別の視点で捉えなおすことで、事実は変わりませんが、そのことに対する本人の”認識”を変える手法です。

 

 

 例えば妻と姑(自分の母)の間に立って悩んでいる男性が居たとします。妻からは「お母さんにもっとはっきり言って!」とせっつかれ、母親からは「嫁にもっと私のことを大事するように言いなさい!」と要求され、「あちらを立てればこちらが立たず」で右往左往する自分の頼りなさにどうしていいのか途方にくれています。さてこんな時、カウンセラーはどうするのか?わたしが今「傾聴」を学んでいる澤村直樹先生は著書の中で、こんな風にリフレーミングしています。「あなたがどちらも絶妙に立てないからこそ家の中はかえって上手く回っているのではないですか?あなたがしていることは、とてもすごいことですよ。」と。自分は頼りないと思い込んで悩んでいた男性の態度を”あなたのおかげで家の中が上手く回っている”とリフレーミングしたのです。もちろんこれは男性の悩みを的確に捉えたからこそのリフレーミングであって、男性が「母親とは近く別居したいのですが、母に何と切り出せばよいのか・・」等と言う悩みであればアプローチもまた変わってくるのでしょう。

 

 

 このようにリフレーミングには、悩みの「本質」を見抜き、精確に捉える力が欠かせません。けれど、近頃はこのリフレーミングの「フレーム」の扱いが非常に雑で危ういカウンセリングが横行しているように思えてなりません。

 

 

 先日の記事↓でも少し触れましたが、わたしたちの社会(正確には日本と言う国内においてはとも言えますが)には、わたしたちが安全・安心に暮らすために存在する、普段は意識さえされていないような(無意識レベルの)倫理規範(規則)が数多く存在しています。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

 その一つが、「家の外を安全に歩ける権利」です。え?そんなの当たり前じゃない?!と思われるかも知れませんが、「自分の感情に任せて人を殴ったり蹴ったりしてはいけない」と言う倫理規範が多くの方と無意識で共有出来ているからこそ成立している権利です。
「約束(契約)を果たす権利」と言うのもあると思います。約束と言うのは少なからず「守る」「守られる」ことが前提でするものであって、「破る」ためにするものであるとしたら、「約束」をする人などこの世からとうに居なくなってしまっているでしょう。

 

 人の「悩み」と言うのは、本来は意識することなく出来ていたことが、どう言うわけか、どう頑張っても果たせない、どうしたらいいんだろう?と言う「葛藤」になった時に顕在化します。以前は決まった時間に起きて会社に行けていたのに、今はどう頑張っても起きられないし会社にも行けない・・どうしたらいいんだろう?これが「抑うつ」症状です。

 

 

 ここで、本人が「いつかは会社へ復帰する」ことを望んでいるにも関わらず、そのことが見えていないカウンセラーはどうアドバイスするのか?と言うと、
「いっそ会社を辞めてしまいましょう!」だとか「家の中にある時計をいったん外して生活してみましょう」などと言う(これらは実際にわたしが過去に目撃した例です)。
クライエントが長年同じ症状で苦しんでいる場合だと、この提案は斬新に響きますから、「え?じゃ、試してみようかな?」などと言うことになり、”一過性の自己価値高揚感”に包まれるのですが、これこそが更なる地獄への入り口なのです。

 

 

 「約束が守れない」悩みについても同様です。「約束は守らなければいけないと言う思い込みがあるから苦しいんです!それを外してしまいましょう!」などとカウンセラーやセラピストを名乗る人から言われて、最初は心地よくなるのだけれど、「借りたお金を返さない」、「約束時間を平気ですっぽかす」などなど、気づいたら人が離れて、悩む前よりも孤独になってしまった人たち・・・と言ったケースも少なからず知っています。
(先日、”明るい自己破産のすすめ”などと言うセミナーを募集しているカウンセラー?コンサルタント?もどきの方をオンライン上で見かけて思わず卒倒しそうになりました。)

 

 

 「リフレーミング」とはあくまで「フレーム」があってこそ。「フレーム」自体を破壊してしまっては、もともとその人が無意識に身を置いて守られていた、安心安全の「倫理規範」から逸脱させ、かえって不安定にしてしまうことになりかねません。
それはリフレーミングでさえないのです。
そして厄介なのは、この「フレーム」自体を破壊して、悩みを無かったことにしようとするタイプの方たちの発信する言葉が、一見すると効果的で魅惑的に見えてしまうことだと思います。心が弱ってしまった時には、ここの見極めが難しいのです。

 

 

 普段の生活で意識されていない「フレーム=枠」は、「制限」でも「不自由なしがらみ」でもなく、実際は社会の安心・安全を守るために存在しているものの方がはるかに多いことを知っていただければ幸いです。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき