残暑お見舞い申し上げます。
気づけば8月も14日。月の半分が終わろうとしていますね。
暑さ、台風、暑さ、台風、そしてお盆・・・とめくるめく月日は流れて・・・。
先週から父の介護の為に帰省し、戻ってきました。
6月の末から水も喉を通らなくなったために入院していましたが、8月3日に本人の意思もあって退院した後は、在宅介護扱いとなり、週2回の点滴を受けながら、どうにかこうにか命を繋いでいるような状況です。
母と妹からは「前より気難しくなって、扱いに困ってる。病院でも看護師さんをひとり鬱にしたくらい態度がひどい。覚悟して来て欲しい」と聞いていたので、それなりに覚悟をして今回帰省したつもりでした。
が・・・父の精神状態は聞きしにも勝る悪さで、初日から「これはどうしたものか?」と頭を抱えてしまいました。
まず、ことあるごとに、枕元に備えてる自宅用の簡易ナースコールボタンを押しまくり、私たちを呼びつけます。それは10分くらいの間隔でしょうか。直ちに駆け付けないと、怒りを露わにし、キレまくり、特に母にきつく当たるのです。
とくに大事な用があるわけでもなく、「背中がかゆい」とか「足を揉め」とか「階段を上る音がうるさい」とか「揚げ物の匂いが臭い」とか「クーラーが寒すぎる」とか「箪笥の中に○○はあったか?」とか・・・
もちろん、おしっこをしたい・・みたいな生理的欲求もあるけれど、そう頻繁に呼びつけられては、家族の日常は立ちゆきません。私も顔を洗っていようが、トイレにいようが、洗濯を干していようが、関係なく父に呼びつけられては、「足を揉め!」と要求され、「疲れた」なんて言おうものなら「気が利かない!」とキレられて・・・。
そんな中、母と妹は、既にそこに抵抗する気力もなくなっているのか、ただ黙って父に従っていました。身体が動かない苛立ちMAXで死を認められない父は、まるでそのことを理由に「可哀そうな自分に従え!」と言わんばかりに家族を奴隷のように扱うのです。
そうしたら、忘れかけていた心の声を思い出してきました。
子供の頃のこと。
昔から父は家の中では王様で、父が白と言えば白。黒と言えば瞬時に黒になったこと。毎日、皆が父の機嫌を取りながら、一挙手一投足緊張しながら過ごしてきたこと。自分の本音など家の中で自由に話せなかったこと。父の顔色をみんなでビクビクしながら伺っていたこと。母は父の機嫌が最優先で、子どもだった私や妹の意思など、何ひとつとして守ってくれなかったこと。
「こいつさえ死ねば、私たちは自由になれる・・」
といつも思っていたこと。
実家から離れて、距離が出来たから、だいぶ衝突しなくなったけど、そうだ、私、ずっとそう思ってた・・・。
でもさすがに今は、父のことはただただ憐れで、「こいつさえ・・」とは思わないけれど、自分という人格が、どこでどうして歪んでいったのか?それをタイムマシンに乗ったかのように見せられて、まざまざと追体験させられて、いろいろフラッシュバックしてしまいました。
この歳まで、自分なりに、自分を励まして、自分が育った環境も、自分なりに、内省して、受け入れて、諦めてきたつもりだったけれど、「こんな家に生まれて来なければ・・」と、やっぱり思って、父への怒りも、生々しく追体験してしまった自分も、また更に受け入れて・・・。もう、一体、何なの?この人生?って思い、でも、自分を幸せに出来るのは自分しかいないわけで、その責任は自分に確かにあって・・。
精神的に、へとへとになって、東京に戻ってきました。
でも、以前と違うのは、それでもきっと回復できると信じられる自分が居ること。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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