わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

それから・・・

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ロイヤルブルーの朝顔

 

 帰省してから2週間が経ちました。それから・・のことを、今日は少し話そうかなと思っています。

 

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

 東京に戻ってからしばらくの間、なんだか”ぽかん”としていました。この”ぽかん”な感じを何と言って説明したものでしょうか・・・。とにかく”ぽかん”でした。上のブログでも少し書きましたが、ずーっと読み続けていた、まだまだ読み続けるであろうと思っていた推理小説が突然最終回を迎えた・・みたいな感じでしょうか。

 

 

 で、その”ぽかん”が和らいできた頃、次にどうなったかと言うと、過去、それまで「どうしてあの時、私はそうしてきたんだろう?」と理由が分からなかったことが、どんどん繋がって、あっそうだったのか!だからだったのか!と腑に落ちるたびに、なんだか無性に悲しくなりました。この”悲しい”と言うのは、別に、悲壮感で泣けてくる・・みたいな”悲しい”ではなく、「そうだったのか・・そうか、だからか・・」という、自己理解、受容の想いみたいなものが溢れてきて、悲しかったんですよね。悲しいけど、あったかいみたいな不思議な感じでした。

 

 

 更にこの2週間、なぜか以前は浴びるように読めた心理学に関する本がまったく読めなくなりました。正確には読もうとしたのですが、文字がなかなか頭に入って来ないのです。喩えるなら、お腹いっぱい、食べられない!みたいな感じしょうか。その代わり、気の置けない友人と集って、美味しいものを食べたり、共通の作業をしたり、写真を撮ったり、写真を教えたり、そんな時間がとても満ち足りていて、楽しくて。

 

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 人と一緒に過ごすのが「楽しい」という体感が強まったことの他にも、人間以外の、例えば、空だとか、河だとか、水だとか、花だとか・・、もっと言うと、歩道橋だとか、橋だとか、そういった、目に見えるすべての物体が自分にとても近い感じがし、存在感を持って迫ってくる感じがし、でも、その繋がってくる感覚は嫌ではなく、むしろ面白いというか、喜ばしいというか、くすぐったいような・・そんな感じで、外をただ歩くだけなのに、とても嬉しくて、やたら散歩にいきたくなりました。同時に自分自身の「存在感覚」のようなものも、以前よりはっきりと感じられて、その実体感が心地よくて・・・。月並みな言い方だけど、「あ、わたし、生きてる!」って思えたんですよね。前はね、この世には居るんだけど、自分だけが別の次元からその場に存在して居る・・みたいな感じのことが多かった。

 

 

・・と、ここまできて、すごく変なこと書いてるかも?って不安になってきました。(笑)もうちょっと、お付き合いください^^;

 

 

 そうそう、来年進学を希望していたので、先月から提出用の「身上書」と「課題論文」と「志望理由書」に着手していました。で、最後に残っていた「志望理由書」を書き始めたのですが、これが全然書けない。書こうと思っていた内容に、ぜんぜん情熱が乗らない・・・。というより、「なんか、違う」という感じ。乱暴な言い方をするなら、「もう、いっか」って気分でしょうかね。もっと言えば、「それを選んでもいいし、選ばなくてもいいよね」という感じです。

 

 

 いや、淡々と書いてますが、やっぱり混乱はしています。10秒前まで、絶対にこれ食べる!って決めていたメニューを、「もう、これ、いいかな」って思っている自分に。

 

 

 そんなこんなで、昨日は久しぶりに高橋和巳先生の見立て講座(基礎コース最終日)を1日受講したわけですが、この講座が答え合わせになりました。なぜなら、昨日学んだ、クライエントがカウンセリングで癒えていくプロセスが、そのまま自分の事例に当てはまっていたので。

 

 

それは・・・

 

不安・抑うつ⇒怒り⇒崩壊⇒悲しみ⇒喜び⇒再生

 

 

という流れのことで、わたしはまさに、長い年月をかけ、けれど、父の病という出来事を通じてこのプロセスを加速させ、一気に再生まで駆け抜けたのです。そして、昨日の講座で、もう一つ、自分自身の見立ての間違いが発覚しました。ずっと自分は愛着障害だと思っていたけれど、それが違っていたのです。ただ、どうして愛着障害と同じ症状になっていたのかが、昨日の講義の事例で紐解くことができたのです。これで本当にスッキリしました。案外、わたしのようなケースの方って多い気もする・・・。

 

 

 半世紀近くかかって、わたしはようやく、愛着の否認を解くことができました。懸命に愛着を否認してきた自分が崩壊した時、過去の自分への慈愛が溢れて悲しくなりました。今は、ようやく生き直せるんじゃないかな?という予感に、ほんのりと喜びを感じている自分がいます。自分が癒しのプロセスに入ったことで、以前は、「どうにかしなくちゃ」、「原因をつきとめなくては」と切迫していた思いを外側の世界に投影しなくなったのでしょう。だから、「人を救わなくちゃ」「人の役に立たなくちゃ」という強迫観念が消えたのかも知れません。

 

 

 今はとにかく、”牛乳とアンパン”をもって犯人逮捕のための張り込みをしていた刑事だったようなエネルギーと時間を、自分自身に注ぎたい。「人の役に立つか、立たないか」という視点で決めていたことは、いったんおろして、自分の好きなことに注ぎたい。その先のことは分からないけれど、とにかく「今は、そうしたい」という感じです。

 

 

 今日も外を歩きました。身体から、「嬉しい」とか「楽しい」という感覚が湧き上がってきて、とくになんてことはない日でしたが、ほっこりと幸せでした。明日は、撮影の仕事です。以前は「ちゃんと満足していただけるかな」とプレッシャーの気持ちの方が強かったけれど、今は「明日はどんな風に撮ろう!」と、空想して楽しんでいる自分がいます。

 

 

 世の中の多くの人が「楽しい」とか「幸せ」って思っているときって、こんな感じだったのかな?そう思うと、またあの”悲しい”気持ちが湧き上がってきますが、それも圧倒されることなく、味わいつくしたいと思っています。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

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