わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

帰省してはじめて知った乳児期の成育環境

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 今回の帰省で思いがけず、自分の乳児期の状況について知ることができました。乳児期というのは、0歳~2歳くらいまでを指しますが、この時期の記憶というのは、親や祖父母、親戚等からかいつまんで聞くくらいで、よほどでなければ、はっきりとエピソードとして覚えていると言う方は少ないのでは?と思われます。

 

 

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(参考までに)

 

 

 何故、乳児期のことを詳細に知りたかったのかといえば、自分自身のより精確な「見立て(心理アセスメント)」のためでした。人との関わり方において一生を左右する第二の遺伝子と呼ばれている「愛着」や、「基本的信頼感」を獲得するのがこの時期なのです。それらが、”すっこん”と抜け落ちてしまっていた自分に、一体何が起きていたのか・・・。何も訊けないまま、もし父が他界してしまった場合、迷宮入りとなってしまいます。どうあれ、タイミングを見て、父から話を聴きたいと思っていましたが、こちらから頼むまでもなく、それは夕食後、突然に語られ始めたのでした。

 

 

 先ず、非常に、驚きました。もう、どうして今?!って感じでした。なぜなら、語られたすべてが、初めて知る内容だったからです。父が29歳の時、23歳だった母が嫁いできました。家には祖父と、祖母が同居しており、祖父は大腸がんの告知を受け、入院したばかりで、結婚式当日も、病院から特別許可を得て列席したとのことでした。祖母はもともと身体が弱く、精神的にも脆弱な部分を持った人でしたので、祖父の介護は嫁いだばかりの母が主にしていたそうです。祖父の手術は無事に終わり、「2年再発しなければ、大丈夫でしょう」と言われ、退院します。それから1年後に、わたしが誕生しました。ところが、数ヶ月も経たない内に、祖父の大腸がんが再発してしまったのです。再び入院生活が始まります。病院に通い介護をするのは、やはり祖母ではなく母の役目となりました。でも、乳飲み子を抱えての看病は無理があったのでしょう。わたしは、祖父が退院し、亡くなるまでの間、母から引き離され、母方の祖母の家、母の姉の家、同居している祖母、時々母の元へと短いタームで順番に預けられ、そこで過ごすことを余儀なくされていたそうです。この話を、今回初めて知ることになったのです。そして、自分の「愛着不全」の根っこにあった原因のパズルの最後のピースが”かちっ”とハマったのを感じたのでした。

 

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

上の記事でも書きましたが、愛着障害というのは、協働調整の機能不全から起きます。乳児だったわたしは、記憶こそないけれど、感情の協働調整がされるべき時期に母親と離れることになり、不安で仕方がなかったと思います。母方の祖母も、姉も、可愛がってくれたとは思いますが、慣れてくると引き離され・・、また慣れてくると引き離されるを繰り返されることで、「捨てられる」、「また一人になるかもしれない」、「ここにずっと居ていいの?いられるの?」という認知とストレスは、ますます強化されていったことでしょう。さらには複数の養育者が居たことで、安定的な協働調整は望めなかっただろうと考えられます。わたしの中に常にある「不安」・「孤独」・「居場所への不在感」は、ここから来ているのだと確信しました。

 

 

 これは私だけではなく、母にとっても不幸なことでした。「愛着」形成は、子どもサイドからのものだけではありません。母親側からも我が子への「愛着」が形成されるのが、この0歳から2歳の間だからです。大人になってから、何故かは分からないけれど、母の姉とは事あるごとに気が合ったのですが、その理由も理解できた気がしました。それをやっかむように、母からは、「えいちゃん(母姉)と、みゆは、そっくりね、気があって宜しいこと!」とよく言われたものです。そして、手元において完全に自分で育てることができた妹の方に母が異様に執着することにも、納得がゆきました。母自身もどう足掻いても気持ちを重ねられない「わたし」という娘に、口にこそ出さないけれど、苦しんできたのかも知れません。

 

 

 自分が置かれた成育環境への謎が紐解けたいま思うのは、誰も悪くなかったのだ、ということでした。ただ、赤ちゃんだったわたしの心と身体は、わたし自身を「孤独」と「寂しさ」から守るために、総力を挙げて最善の反応を繰り返してくれていた・・・。そういうことなのだと、今は理解できています。

 

 

 これまで、犯人が分からないままの推理小説を読み続けてきたような人生でした。やっと最後のページを読み終えた時、待っていた結末は「実は、どこにも犯人はいませんでした」だったわけですが、わたしにとっては、大きな区切りとなりました。これからは、誰のことも恨まずに、自分自身の心の状態と向き合っていけるわけですから。そして、その術も環境も、今のわたしには、ある。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

 

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