わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

写真に滲み出る観念

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二輪草

 

 昨日、散歩途中の森で二輪草を見つけました。台のような葉の上に細い茎をのばし、小さく可憐な白い花を二輪咲かせる様子からそう呼ばれています。歳時記では二輪草は晩春の季語です。満開になる頃には、すっかり春もたけなわのことでしょう。

 

 

 俳句を詠み、季語に親しむようになってからと言うもの、それまで意識の網目を何となくすり抜けてしまっていた些細な自然現象にも、目が留まるようになりました。たとえば「竹」です。

 

 

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竹の秋

 

 「竹の秋」と言う季語があるのですが、さて、この季語、いつの季節を表していると思いますか?「秋」とつくからには当然「秋」の季語なのでは?と思いたくなりますが、実は「春(晩春)」の季語なのです。

 

 竹は3月から4月に地中で筍(たけのこ)を育てるために、葉が枯れて黄ばんでくる時期があります。この状態が秋に落葉樹が黄葉してくる状態と似ているため、「竹の秋」と言う言葉が生まれたのです。では「竹の春」ときたらいつの季節を指す季語でしょうか?勘が良い方はもうお分かりですよね?「秋」を指す季語なのです。筍を育て終わった竹はその養分を茎や葉に取り戻しますので、元気よく青々としてくるのです。秋は、竹林の青さが落葉樹の紅葉と相まって、一段と美しい景色を演出してくれます。

 

 

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竹の秋

 

 「竹の秋」と言う季語を知らなかった頃は、色あせて寂しい風情の竹林を足早に通り過ぎるばかりでした。ところが知った今は、黄ばんだ節の根元のそのまたずっと下方で、美味しい筍が成長し、地上に顔を出すのを待っているのかと想像するだけで、ワクワクしてくるから不思議です。そこに広がっているのは、もはや色あせた薄ら寂しい光景などではなく、実りの時を待ち焦がれている僥倖なのですから。

 

 

 

 写真には撮り手の現象に対する価値観や観念がしっかりと写り込むように感じています。観念を支えているささやかな季語のひとつが、寂しい風景を僥倖の風景に一瞬で変えてしまうくらい、それらは大きな力を持っているのです。先ずは、好きな「季語」を見つけることから始めてみるのはどうでしょう?数か月後、自分が思っていた以上の観念の変容を経験できるかも知れませんよ!

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

 

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