よく、「6割で頑張ればいい」とか、「困ったら人に助けを求めればいい」とは言うものの、それがどうしたって難しいのが、愛着トラウマを負った人たちではないでしょうか?終いには、「どうしたら6割で頑張れるの?」とか、「どうしたら人に上手に助けを求められるの?」って、それ自体が頑張りの目標になってみたりする・・・。これでは、本末転倒。楽になれるはずがありませんよね。^^;
その背景には、頑張っても、頑張っても、「それでいい」と受け止められた経験が少ないが故に、適切なリミッターの感覚がないことがあるし、人を頼ったら突き放されたとか、逆に攻撃されたとか、陥れられたとか・・・そっちの方がデフォルトであるために、「頼る」こと自体が、神経系的には「命の危険」とインプットされてしまってたりする。相手が本当は頼ってもいい、安全な人物であったとしてもです。
自分もこの傾向が強いので、カウンセリングでクライエントさんに対して、「頼れる人には弱音を吐いてね、SOSを出していいんだよ」と言うのですが、その難しさも重々承知しているつもりです。それでも、言うのです。言い続けたいと思うのです。
今日、自分でも無意識の内に、いろいろ追い込まれていたのかも知れなくて、数人の友人に弱音と不安を吐き出してしまっていました。友人たちは、すごく優しくて、もう、本当に、びっくりするくらい優しくて、温かかったです。
それで現状が変わるのか?と言うと、そうではないのですが、身体の関節が0,5センチくらい伸びたような気がしています。
人を頼るってそういうことかも知れないって思いました。
関節が0,5センチくらい伸びること。だけど、それで動く何かもあるなって・・。
そう思った日でした。
「6割で頑張る」・・・に関しては、まだまだ、模索中かな。
でも、いつかきっと、ここにも、折り合える気がしています。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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写真を眺めてほっと一息^^