わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

根っこが同じ、だから惹かれる、だから喰われる

 

 これまでずっと、愛着障碍をもつ人が、まるで吸い寄せられるようにして、気づけば次から次へと自分を傷つける人物とのつながりを持ってしまうことが、不思議で仕方がありませんでした。
 ちなみに、これらの人物の多くがDSM-5によるパーソナリテイ障碍B群に分類される人たちだと言われています。

 

・自分は利用されているだけだと分かっているのに、関係を切れない。
・自分には経済的余力がまるで残っていないにも関わらず、お金を貢ぎ続ける。
・相手の要求が倫理的におかしいと頭では分かっているのに「NO」が言えない。
・とにかくその人から認められなければ自分は終わってしまうと感じる..etc

 

まだまだ枚挙にいとまがありませんが、これらを経て、「もう、嫌!こんな人には二度と関わらないぞ!」と普通であればなりそうなものですが、次も、また次も、またまたその次も、同じような人間関係にハマっては、傷だけがどんどん深くなっていく・・・。(これがいわゆる発達性トラウマです。)

 

 

 この謎が解けたのは、精神科医高橋和巳先生の講義においてでした。

 

 先ず、DSM-5による境界性パーソナリテイ障害の診断基準を下記に掲載します。

 

対人関係、自己像、感情などの不安定性および著しい衝動性の広範な様式で、成人早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

 

 

1,現実に、または想像の中で、見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力(⑤で示される自殺関連は除く)
2,理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係の様式
3,同一性の混乱:著明で持続的に不安定な自己像または自己意識
4,自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(浪費、手当たり次第の性行為、物質乱用、無謀な運転、過食や過食嘔吐など)
5,自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為のくり返し
6,顕著な気分反応性による感情の不安定性(通常2~3時間持続し、2~3日持続することはまれな、エピソード的におこる強い不快気分、いらだたしさ、または不安など)

7,慢性的な空虚感
8,不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(しばしばかんしゃくをおこす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかを繰り返すなど)
9、一過性のストレス関連性の妄想様概念または、重篤な解離症状

 

 

何故で色分けしてあるのか?
それはそもそもDSM-5による境界性パーソナリテイ障碍(他、そこから分岐したと言われる自己愛性パーソナリテイ障碍)の診断は、2つの見立てが混在しているものだというのです。

 

ちなみに、青は愛着障碍赤は境界知能緑は双方に共通する診断基準です。

 

 

どうしてこのようなことになったのかと言うと、同じ「自己愛」について研究をしていた二人の精神科医、コフートとカーンバーグの論争にまでさかのぼります。

 

 

コフートは、自己愛性パーソナリテイ障碍の診断基準を、

 

自己評価の傷つきやすさを抱えながら、社会適応している患者群とし、「過敏型」としました。これらの人は、他者の反応に過敏で、抑制的で内気。自分を表に出すことさえしません。また自己より他者の方に注意を向け、注目の的になることは避けます。軽蔑あるいは批判されている形跡がないか注意深く他者の話に耳を傾けます。そして、傷つけられたという感情を持ちやすく、恥や屈辱感を感じやすい

 

 

 

と主張しました。

 

一方でカーンバーグは、「無関心型」とし、

 

他者の反応に気づくことがない。傲慢で攻撃的であり、自己陶酔型。常に注目の的になっている必要性がある。「送信機はあるが受信機がない」ような人物。他者によって傷つけられたという感情に鈍感であるように見える。

 

 

と主張したのです。真っ向から対立ですよね。そして、これらの特徴が、先ほど挙げた境界性パーソナリテイ障碍の「青」と「赤」の診断基準にぴたりと一致することがお分かりでしょうか?

 

 

さらに突っ込んでみていくと、

 

”他者の反応に過敏で、抑制的で内気。自分を表に出すことさえしません。”

 

という愛着障碍を抱えた人にとっては、

 

”他者の反応に気づくことがない。傲慢で攻撃的であり、自己陶酔型。”

 

である境界知能の人物を、「憧れ」の対象として感じられても無理はありません。

 

 

”傷つけられたという感情を持ちやすく、恥や屈辱感を感じやすい”

”他者によって傷つけられたという感情に鈍感であるように見える”

 

 

こういった部分も同様に、愛着障碍の人から見れば、「一度でいいから、そんな風になってみたい!」と羨ましくて仕方がないはずです。

 

 

では、仮に、生きづらさに苦しみ、悩みながら生きて来た愛着障碍を抱える人物が、ふとある日、他人の目などまったく気にせず、多くの人の注目を集め、自信たっぷりで、(倫理観が薄く世間からはみ出しているケースが多いのですが)自分と同じように社会に馴染めない辛さを発信していると思しきブログを見つけたとしたらどうでしょうか?!その人がもし、「わたしのように~~すれば、あなたも私のように自由に自信を持って生きられるようになれるわ!その方法を教えてあげる!」と語り掛けてきたとしたら?!その講座やメソッドが、法外な値段だったとしたら?!

 

 そこから先のシナリオは、火を見るよりも明らかです。そう、養育者から得られなかったニードである「認められるために認められたい」という目的を果たすために、今度は、親の代わりに偽りの憧れの対象であるその人に対して、愛着障碍の人は、どこまでも自分を犠牲にしていきます。たとえ、無一文になったり、借金をしたとしてもです。

 

 

 時々、自己啓発系やセラピーやカウンセリングのブログを見ていると、このようなパワーバランスの構図にハマっている愛着障碍の方が散見されます。このままでは、廃人になってしまうよ・・と、思われるような方も大勢います。かといって、そこから離れなさいとか、距離を置いた方がいいよと私が言うのもお角違いなため、無言で立ち去るばかりですが・・・。

 

 愛着障碍も境界知能も、孕んでいるのは「自己愛」の問題ということで同じ根っこです。だから惹かれ合ってしまうし、結果、パワーバランス的に弱い愛着障碍の方は喰われてしまう。

 

 本当に急務なのは、辛い経験の中で乖離してしまった、自分自身の内なる複数のパーツ(内的家族)との和解と、それらひとりひとりとの愛着関係の再構築です。
 穏やかに過度な刺激を求めずとも日々をなんとなく「幸せ」だと感じて過ごせるのは、それからです。

 このことが、自覚できるだけでも、ずいぶん違うのではないだろうか?と、どこかでひとりでも不毛な人間関係から解き放たれることを祈りつつ、今日はここで終わりたいと思います。

 

 

 

 

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写真を眺めてほっと一息^^  

 

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