わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

愛犬の主治医がようやく決まりました

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動物病院から帰ってお疲れのベル

 

 久しぶりの青空に心の澱が解き放たれたような1日でした。今日の午後は動物病院へ。ようやく主治医の先生を決めることができました。

 

 先代のベルが副腎の病気を患って以来約8年、お世話になった家から一番近くて便利な動物病院には行かず、市内で他の病院を探そうと決めたのには理由がありました。それは、以前の先生とは最後の最期、ターミナルケアの治療方針で意見が食い違うことが日に日に増え、それと同時に不信感が募ってゆき、本音で相談ができなくなってしまった経緯があったからでした。

 

 コロナ禍というのもマイナスに働きました。個人病院だったので、常駐の医師は先生一人きり。対面接触はなくなり、診療は医院の待合室に置かれたパソコンでつないだオンラインのみで行われました。フェイスtoフェイスだからこそ補われていた「非言語コミュニケーション」が機能しなくなり、先生のデータ主義一辺倒な部分が悪い意味で際立つ面談が増えました。現場から「沈黙」を待つ空気や「揺れ」を許容する時間が消え、的確だけれど冷たいやり取りが交わされるようになっていきました。

 

 データ主義で最後まで「治療」に軸を置いていた先生と、もう治らないのなら、ベルの身体が少しでも楽であることを優先し、食べたいものを食べたい時に好きなだけ食べさせてあげたかった私たち夫婦でした。もちろん、先生は医師として当然のことをしたまでで、非は少しもありません。現にベルが元気だった時は、関係に何ら不満も疑問もなかったですし、基本的に勉強熱心なとても良い先生なのです。

 

 

 ただ、ベルの看取りを経験した私たちは、ターミナルケアでの医師との治療方針の連携の良し悪しが、精神的負荷にどれほど影響を及ぼすのかを嫌と言うほど思い知ってしまいました。そのため、2代目のベルを迎えた時は、どちらともなく「病院は替えよう」という話になったのだと思います。

 

 

 フィラリアの薬を貰う相談と称して、私たちは、市内にある4つの動物病院を先月末から回っていました。一番参考になったのは、市内に暮らす、自分たちと価値観が近いと思しき犬の最期を看取った人たちの意見でした。その人達からお薦めいただいた中で、ベル本人が一番リラックスできているように見えた病院にしよう!ということになり、今日行った病院に決めたというわけです。

 

 

 病院に最先端の治療設備があることや、医師に豊富な経験と専門知識があるのに越したことはありません。ただ、ターミナルケアにおいてそれらがすべて役に立たず、無効となった状態に追い込まれた時に、やはりモノを言うのが、医師の共感力や人間力だと思います。ここを軽く見てしまうと、ペットロスによる予期悲嘆が重くなりますし、経験上、「先生の言うことなど聞かずに、愛犬のしたいようにさせてあげるのだった!」のような後悔や、罪悪感を抱きやすくなり、グリーフも複雑化するように感じました。

 

 

 少子高齢化も手伝ってペットを人間と動物の境界を越えて、我が子のようにかわいがる人が増えています。また、昨年からのコロナ禍も相まってペット需要はかつてないほど伸びているそうですが、それだけこの上なく愛しい存在を喪う立場に置かれる人が増えるということでもあります。

 

 

 高度な医療を提供してくれて治癒にとにかく力を注いでくれれば、飼い主の心に寄り添うだとか、飼い主の死生観への理解などは二の次で良い・・・と仰る方も中にはいるかも知れませんが、ターミナルケアに対する医師の価値観を少しでも知っておくことは、飼い主さん自身の心を守ることでもあります。ただでさえ、動物病院は一度決めると長いお付き合いになりますし、途中の変更もしずらいものなので、事前に医師の死生観について十分な吟味をすることを、私は強くおすすめしたいと思います。 

 

 

 それにしても、来月あたり行う予定の避妊手術の前に主治医が決まってほっとしました。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

骨からの伝言

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ベルの抜けた乳歯

 

 昨日の晩、いつものようにベルにせがまれて、お気に入りのぬいぐるみを投げて取って来させたり、咥えさせて綱引き遊びをしていた時の事。突然、ぬいぐるみの顔が真っ赤な血で染まったため、ぎょっとして一瞬パニックになりました。「ベル?ベル?どうしたの?どこか怪我でもした?!」と、からだを触ったり、四肢の状態を確かめたりしましたが、どこにも傷らしきものは見当たりません。すると、おもむろにベルが、「ケっ・・ケっ・・」と口から何かを吐き出しました。見るとそれはどうやら「歯」、乳歯なのでした。

 

 

 早い仔はだいたい月齢5~6か月で乳歯が抜け始めるとは聞いていましたが、先代のベルの時は、いつ生えかわっていたのか分からず、ましてや抜けた乳歯など1本も見たことがなかったため(飲み込んでしまう子が通常だそうです)、肝は冷やしましたが夫と抜けた歯を見ながらベルの成長を喜びました。

 

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

 

 実は、先日ベルの納骨を終えた後から、(往生際の悪い)わたしの心は再び揺れ始めていました。あの日、「これで良かったんだ」と直後は思えていたものの、1日経ち、2日経ちするうちに、「ベル、寂しがっていないかな」、「本当は手元に置いた方が良かったんじゃないかな?」とモヤモヤしていたのです。終いには「せめて分骨してもらえば良かったかなあ・・・」、「わたしって、なんて薄情ものなんだろう」、「ベルちゃん、ごめんね」などなど、一度走り出してしまった頭の中の暴走はもう手に負えません。(涙)

 

 

 でも、ベルの抜け落ちた乳歯を見つめていた時に、ふと、「歯が生えかわるように、わたしも生まれかわって強く生きるから大丈夫だよ、ママ!」と、ベルの声が聞こえたような気がしました。抜けた乳歯は、先代ベルからの伝言。この歯は、大切に手元においておこうと思います。

 

 

 

 それにしてもこのところのベルの狂暴ぶりったら、いつもに輪をかけてひどいのです。歯の生え変わりの時期は特に気持ちが荒ぶるそうなので、しばらくは取り扱い要注意です^^;。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

先代ベルの納骨が終わりました

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府中の慈恵院

 

 今日は先代ベルの月命日。新盆ということと、そろそろ”けじめの時期”かも知れないねと夫婦で話し合い、納骨をすることになりました。

 

 

 ちょうど7ヶ月前、朝に亡くなったベルの亡骸を抱き、同じ道を走ったのを、窓ガラスを流れる雨のしずくをぼーっと眺めながら思い出していました。ただただ悲しくて、もう明日からどんな風に暮らしていけばいいのか分からず、どうしたら1日も早くベルの元へいけるんだろう?と、そんなことばかりが頭の中をめぐっては消え、めぐっては消えしていたんじゃなかったかと思います。

 

 

 葬儀の前、お寺のスタッフさんから「では、しばらくベルちゃんと最後のお別れをしてください」と通された部屋で、ベルの身体を撫でていると、ほんの微か、ベルが脈打った気がして、それを夫に話すと、夫も「もしかして、まだ生きてるのかな?」と言い出して・・・。あろうことか、私たちは動物病院の先生に電話で事情を話し、「これってまだ生きてるってことですかね?」と真顔で尋ねたのでした。もちろん、ベルは死んでいるし、「目の錯覚」に違いなかったのですが、あの時はとにかく、現実を受け入れることが二人ともできなかったんでしょうね・・・。精神状態が麻痺していたように思います。

 

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 火葬が終わって、小さくなったベルをその日の内にお寺に納骨することもできたのですが、とてもそんな気にはなれず、家に連れて帰ってきました。そしてついこの間まで、一緒にご飯を食べたり、抱っこしたり、話しかけたりして過ごしていました。感覚としては、ベルは姿カタチは変わってしまったけど、今はたまたま「骨」という形をしているだけで、以前と何ら変わっていないと言った風でした。「骨」だけど、大好きな、大好きな、ベルのままでした。そして、わたしの心のよりどころでした。

 

 

 
 ようやく気持ちに変化が訪れたのは、2代目ベルが家に来てからでした。まっすぐに愛情を求めてくる小さなベル。可愛くて、愛しくて、氷のように固まっていた心が、日に日に解けていくのを感じました。ただ、それと同時に、先代のベルになんだか申し訳ないような、わたしだけが、こんな風に癒されたり、幸せを感じていてもいいのかな?という自責感のようなものに時々襲われるようになったのでした。2代目ベルのことは愛おしいけれど、全力で可愛がることにどこか遠慮があるような・・そんな妙な気持ちでした。このままでは、”どちらのベル”に対しても中途半端・・・。その葛藤も、納骨へと背中を押してくれたように思います。

 

 

 諸々を済ませ、自宅に戻ると夫が不思議な話を聴かせてくれました。なんと、お寺に着き、車を停めた時に、骨壺から「ワン」とベルの声がしたと言うのです。実は夫には多少の霊感?のようなものがあるらしく、これまでにも時々おかしなことを言うことがあったのですが、それらは不思議と脈絡があり、裏付けが取れることだったりするので、疑ってはいませんでした。夫曰く、「ベルが”ありがとう!またね!”って言ったんだと思う。」と。嬉しくて思わず泣けてしまいました。

 

 

 正直、納骨ギリギリまで、手放していいのか迷っていました。離れがたくて。ベルがこれで本当に遠くに行ってしまう気がして。だけど、夫の話を聞いて、「ベルにとってもこれで良かったんだな」と思えました。きっとこれで本当の意味でベルは成仏できるのかもしれないな・・と。

 

 

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 自宅に戻ってすぐ、仔犬のベルをたくさん抱きしめました。この子をこれからせいいっぱい愛していこう、守っていこう、一緒に幸せになろうねと、伝えました。

 

 

 

 半夏雨の季節の中、長かった我が家の冬がようやく雪解けを迎えたような心地がしています。
 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

初めてのごろ~ん

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ごろ~ん

 

 ベルが我が家にやってきてから今日でひと月になりました。
昼間、リビングで産業組織心理学のレポートを書いていた時のことでした。
ふと視線をベルに向けると・・・!

 

あら~!!!(^-^;
なんて開けっ広げな姿だこと!(゜o゜;)

 

こんな姿でお昼寝をしているベルを見るのは実は初めてなのです。
ようやくここが心身ともに
安心安全のマイホームになったってことかな?

 

だとしたら、ママはとっても嬉しい^^

 


夕方、夫がベルを初めてのお散歩に連れ出したのですが、
意外にも怖かったみたいで、固まってしまったそうです。
お家の中では、何に対してもひるまない子なので
お外デビューもへっちゃらだろうと思ってました。
ちょっと刺激が強すぎたのかな?
明日はベルを抱っこしたままご近所を散策したいと思います。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき