
前回書いた記事の中で、20代~30代ぐらいまでの自分のことを振り返ってみたのですが、そのことについて今回は、より深掘りしてみたいと思います。
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
20代から30代前半にかけての私は、
ヒーリングやエネルギーワーク、占い(タロット)、
いわゆる“目に見えない世界”を熱心に学んでいました。
でも今思うと、私は最初から、
そうした精神世界に惹かれやすい土壌を心の中に持っていたのだと思います。
私は神社と関りが深い土地で育ちました。
神事としてのお祭りが年に数回行われ、7年に1回は大祭が行われます。
大人も子供も参加するのは当たり前。
通学路も神社の中だったし、遊び場も、ラジオ体操も神社内でした。
神社や神様という存在は、「特別なもの」というより、
どこか生活に溶け込んだものでした。
だから、苦しい時に神様へ祈る・・・、お願いごとをする・・
という感覚は、私には実はあまりなかったのです。
神社は、“お願いを叶えてくれる存在”というより、
ただ、そこにあるものだったからでした。
けれど、成長するにつれて、自分の生きづらさや、心の苦しさを、
誰かに委ねたい。どうにかしてほしい。打ち明けたい。分かって欲しい。
そう思った時、私が向かったのは、なぜかキリスト教(カソリック)の世界でした。
イエス・キリストという絶対的な存在に、救いを求めたくなったのです。
だから、今振り返ると、「目に見えないものに委ねたい」という感覚自体は、
ずっと私の中にあったのだと思います。
それが依存なのか、祈りなのか、安心を求める心からなのか、
今でもうまく言葉にはできません。
ただ、心の問題をどうにかしたいと思った時に、
私が心理学より先に、スピリチュアルな世界へ向かったのは、
ある意味、とても自然な流れだったと思っています。
そんな中で、私は偶然にレイキヒーリングに出会いました。
所謂”臼井式レイキ”と呼ばれるものです。
資格を取得するにあたり、当時、誰もが知っていた大手の学校に入ったのですが、驚いたことに、そこには、雑誌やテレビでしか見たことがなかったような、本当に“感じられる人、視える人たち”がいました。
天使や聖人?見えない存在が見える人。
オーラや気の場といったエネルギーを感じ取れる人。
過去や未来?前世が見える人。
当時の私には、
その人たちがとても特別に見えました。羨ましくて仕方がなかった。
そして私は、どこかで、
その人たちに負けたくなかったのだと思います。
自分だって、練習すれば感じられる。
自分にもわかる。私だって特別なんだ!
そうしたら、みんなに認めてもらえる!
生きやすくなっていく!
そう思いたかったのですね。
今なら分かります、これは、歪んだ「自己愛」なのだって。
レイキのアチューンメントなどを受けた後に、
「どんな感じがしましたか?」
と聞かれるたびに、私は、
「青っぽい光の渦を感じました」とか
「白い天使のようなエネルギーが降って来ました」とか
「ゴールドの光が波みたいに覆ってきて、身体がふわっと軽くなりました」とか・・
そんなふうに、
一生懸命、自分の感覚を言葉にしていました。
もちろん、
嘘をついていたわけではないのです。
当時の私なりに、
必死で、受け取った何某かの“感覚”を表現し、掴もうとしていた。
でも今思うと、
私は身体そのものよりも、
“感じられている自分”を、言葉で作ろうとしていたのかもしれません。
なぜなら、当時、実際の私は、(今だからはっきり言えますが)
ほとんど身体というものに繋がれていなかったからです。
そのことにようやく心の底から気づけたのは、
驚くべきことに、ずっとずっと後になってからでした。
ベリーダンスを始めたばかりの頃、
先生から、
「みゆきさん、左足をもっと踏み込んで」
と言われても、
私はそれができませんでした。
というより、
左足を踏んでいる感覚そのものが、
よく分からなかったのです。
だから、踏み込んでいるつもりだったのだけど、
先生にはできているようには見えてなかったようでした。
(それが、最近できるようになったという記事を先日書きましたよね?)
さらに、療育整体を学ぶ中で、
左足の小指を曲げようとしても、意思に反してまったく曲がっていないという事実にも直面しました。
そこで初めて、
「ああ、私は左半身の入力が、とても弱かったんだ」
と知ったのです。
たった小指1本分の地面との接点が足りなかっただけで、人間というのは、かくも不安定な精神の人生を積み重ねてしまうものなのか・・と、恐ろしくなりました。
足裏の感覚。
自分の重心の感覚。
身体の輪郭。
筋肉の張り具合。
呼吸の深さ。
そうした“現実の身体”の感覚を、私は50年以上も、ほとんど受け取れていなかったのですよ。そのことで、どれだけ自律神経が不安を感じていたか・・・。
心理学や発達支援の世界では、こうした感覚を、
「固有受容感覚」や「内受容感覚」と呼びます。
固有受容感覚とは、自分の身体がどこにあり、
たとえ目を瞑っていたとしても、
どんなふうに動いているかを感じる感覚です。
足裏で地面を踏む感覚、
身体の軸、
重心、
筋肉の動きなどです。
そして、内受容感覚とは、
呼吸、心拍、空腹感、緊張、
身体が受け取る安心感など、
身体の“内側”で起きている状態を感じ取る感覚です。
私は、その両方が、幼少期から、かなり弱かったのだと思います。
だから、
「身体を感じているつもり」ではいたけれど、
実際には、身体そのものよりも、
イメージや象徴の世界にアクセスしていたのでしょう。
身体で感じられない安心感を、必死で言葉やイメージで補おうとしてきたのですね。
そのことに関しては、良い悪いじゃなくて、
そうせざるを得なかった必死だった自分をねぎらってあげたいと思っています。
青い光。
天使。
高次の存在。
エネルギー。
そうしたものを通して、
私は必死に“感じているつもり”になっていたのです。
これは、単純に「スピリチュアルは危険」という話ではありません。
むしろ私は、苦しさを抱えた人が、
見えないものに救いを求める気持ちは、
とても自然なことだと思っています。
ただ、身体との接続が弱いまま、
象徴や解釈の世界だけへ向かってしまうと、
人は時に、現実の苦しさや、
自分の身体感覚から、
離れていってしまうことがあるのです。
(スピリチュアルバイパスといいます)
これを心理学では、「乖離」と呼びます。
だから私は今、どこか遠くの“特別な感覚”よりも、
足の裏の感覚を感じること。
息を吐くこと。
肩の緊張に気づくこと。
空腹や疲労を感じ取ること。
そういう、地味で、現実的な身体感覚の方を、
セッションでも大切にしたいと思っています。
身体感覚とは、特別な能力ではなく、
「いま、ここにいる身体」を、そのまま感じること。
そして、
固有受容感覚や内受容感覚が育っていくことは、
“自分自身との関係”を、
もう一度結び直していくことの基本中の基本なのかもしれません。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
あなたの未完了の物語を身体アプローチと対話で再編集する心理カウンセラー
・愛着の傷 / 生きづらさ / 発達凸凹
・身体アプローチ × パーツセラピー × 原始反射統合
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日本心理学会認定心理士 / 療育整体師プロ
さとうみゆき
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