
自分には才能がない・・・
そう思って生きておられる方は、意外と多いのではないでしょうか?
私も長い間、いや、ついこの間まで、そう思って生きていました。
私の中で「才能」というものは、いつも椅子取りゲームのようなイメージでした。
世の中には、絵を上手に描ける椅子、ステージをいっぱいにできる音楽家の椅子、本になるような文章を書く小説家の椅子、芸能人から依頼が来るような写真家の椅子、一度聴いたら忘れられない声楽家の椅子・・・
いろいろな才能の椅子が並んでいて、「才能」として認定されるためには、そのどれかに一番に座らなければいけない。でも、その数には限りがある・・・
そう思っていました。
でも私は、どこにも座れない気がしていました。否、座ろうとしたところで、結局あぶれてしまい、真ん中でみっともなくオロオロしてしまう・・・💦
だから自然と、残念ながら、自分にはとりたてて特別な才能はない・・
そう、思うようになったのです。
そんな私が最近、少しだけ考えを変える出来事がありました。
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
ひとつ前の記事でも書きましたが、今日、Duolingoでのアラビア語学習継続が365日になりました。一日も休まずに、ちょうど一年です!自分でもびっくり!
ちなみに、きっかけとなったベリーダンスも、始めてから3年目に入りました。これも、ほぼ毎日、時間があれば身体を動かしています。
こうして書くと、なんだか立派なことのように見えるかもしれません。
でも私自身は、ずっと不思議に思っていました。
どうして私は、アラビア語なんていう人生に必須でもない言語を1年も続けられているんだろう?
どうして私は、これまで最も苦手としてきた運動、しかも、ベリーダンスなんていうセクシー全開で踊るダンスに夢中になっているんだろう?
この件に関して、最初は、「そうか!続けられることが私の才能だったのかもしれない」と解釈しようとしてみました。
でも、すぐに違和感が出てきました。
もしそれが才能なら、私は何でも続けられているはずです。でも実際はそうではありません。
例えば、昨年の秋に意気揚々とはじめた通信大学の図書館司書の勉強は、どうしてもエネルギーが向かないのです。数本レポートも出して、成績もまあまあ、試験も受けていくつかの単位も取れたのに、です。どちらかと言えば、得意な勉強・・でも、なんか楽しくない・・。
ダンスについても、同じようなことがありました。
実は昨年の今頃は、ベリーダンスと並行して、フラダンスも学んでみたのです。
素敵な世界だな~と思いました。でも、どういうわけか、続きませんでした。
つまり私は、「何でも続けられる人」ではない。
続けられるものと、続けられないものが、
どうやら、はっきり分かれている・・・・?
それはどうしてなんだろう?
しばらく考えていて、ようやく言葉が見つかりました。
私はたぶん、「私には無理」の中に、「可能性の種」を見出して、自分にとって、最高に美しい未来の花として咲かせるプロセスがたまらなく好きなのです。
強いて言うなら、「私には無理!の中の可能性ほど大切にできるという才能」でしょうか。
アラビア語を続けているのも、今すぐ役に立つからではありません。
でもどこかで、この先、自分の世界が想定外の未来に繋がっていくかもしれない。
そんな面白おかしい可能性を信じたくて仕方がないのです。
ベリーダンスも同じです。
未だにうまくできないことばかりですが、身体の奥で何かが少しずつ育っている気がする。その新芽を信じて、今日もまた身体を動かしてしまう・・・。
いま、書いていて気づいたのですが、
私はずっと、言葉と身体の両方で、同じことをしているのかもしれません。
まだ形になっていないものに少しずつ触れて、それが芽を出すのを待つ。
そうそう!この感覚はカウンセリングの場でも、同じように働いています。
クライエントさんの話を聴いていると、ふと、その人の幸せな未来の可能性がいくつも浮かぶことがあるのです。



