わたし歩記-あるき-

あなたの未完了の物語を身体アプローチと対話で再編集する心理カウンセラー のブログです

わたしとあなたの物語 2

 

これは、いつも少しだけ「画面の端」にいる
わたしとあなたの物語です。

 

そして同時に、
声を張らずに生きてきた人、
自分から、いつしか透明になってしまった人のための、
小さな物語でもあります。


劇的に世界が変わる話ではありません。

 

ただ、
「そこにいた」という事実を、
自分自身が消さなくなったときに起きる、
とても微かな変化について書いてみたいと思います。

 

 

私は、いつも少しだけ画面の端にいる。

 

推しのYouTubeライブでコメントを送ると、
同じタイミングで流れた言葉たちが、
次々と主催者によって拾い上げられていく。

 

「〇〇さん、こんにちは」
「〇〇さん、ようこそ」

 

・・・

私のコメントも、そこに確かにある。
ある・・・はずなのに、
不思議と、読み上げられないまま、流れていく。

 

責めたいわけじゃない。
主催者が悪いとも思わない。
ただ、またか、と思うだけ。

 

SNSでも、似たようなことが起きる。
勇気を出して、投稿にコメントを残す。

他の人には丁寧に返信がついていくのに、
私のところだけが空白のままになっている。
通知を何度か確認して、結局、画面を閉じる。

 

私はそこにいた。
言葉も置いた。
それでも、いなかったことになる。

 

オンライン会議で、一人ずつ感想を求められていく。
次は私だ、と襟を正したところで、
進行は次の話題へ移ってしまう。
私の名前は呼ばれないまま、会議は終わる。

 

画面には、ちゃんと私の顔が映っている。
マイクもつながっている。
それなのに、最初から人数に入っていなかったみたいだった。

 

この感覚は、どこか懐かしい。

 

小学校のホームルームの時間を思い出す。
先生が前に立って、順番に意見を聞いていった。
前の席の子も、後ろの席の子も、みんな一度は話した。

私は、まだ発言していなかった。

けれど先生は、名簿を閉じて、次の話題に進んだ。


飛ばされたとも、忘れられたとも、はっきりしない。
ただ、気づかれなかった。

 

それ以来、私は、
できるだけ透明でいようと、努めるようになった。

 

読まれなかったコメントは、すぐに消すことにした。
返事のつかなかった言葉も、なかったことにした。
訂正するほどの存在じゃない、と自分に言い聞かせて。

 

そのほうが、楽だった。
期待しなければ、落ち込まなくて済む。
最初から透明でいれば、傷つく理由もなくなるから。

 

 

ところがある日、
いつものように推しのYouTubeライブを眺めていたときのこと

ふと、コメント欄に流れていく言葉を追っていると、
誰かの何気ない一言に、
別の誰かが「それ、私も思いました」と返している。

そこから、その二人だけの会話が、
まるでそこだけ多くのコメントの喧噪から隔離されたように、
少しだけ続いていった・・

 

私は、画面を見つめたまま、指を止めた。

 

「ほんとは私も、同じことを思いました」

 

もしここで、何か書いたとしても、
きっと、私のコメントなんて、読まれない。


結局、コメントは、何も送らなかった。

 

ライブが終わったあと、
胸の奥に、ちくちくする感覚が残っていた。

 

傷ついた・・・、というのとは少し違う。
でも、確かに、何かが残った。

 

透明でいることで、
守れたものはあったけれど・・・

そのとき、初めて、
透明でいることが、
さみしいと感じた。

 

そして、気づいた。

私を消すことに、一番熱心だったのは、
他でもない、私自身だったのだ。

 

 

 

それからの私は、前と少し変わった。

 

誰にも読まれなかったコメントだとしても、消さずに残した。
返信がなくても、そのままにした。
会議で言えなかった考えを、ノートに書いた。
名前を間違えられり、忘れられていたときには、
声を張らずに、ただ言い直した。

 

大きく主張するわけでもない。
でも、引っ込めもしない。

 

私がここにいた、という事実を、
私自身がそのまま扱うようにした。

 

まあ、相変わらず、劇的な変化はなかったのだけれど。
忘れられることもあるし、読み飛ばされることもあるし。

 

そんな、ある日のことだった。

 

オンラインでのミーテイングが終わったあと、
出席者のひとりから、短いメッセージが届いた。

 

特別に話したことがあるわけじゃない。
発言が多い人でもない。
いつも、私と同じように、画面の端にいた人だった。

 

「さっきのあなたのコメント、読んでいました。
あの一文が、妙に心に残っていて・・・」

 

それだけだった。

 

その瞬間、私ははっとした。

 

私は、その人のことを、これまでちゃんと見ていただろうか、と。

ずっと同じ画面にいたはずのその人を、
透明にしていなかっただろうか?と。

 

胸の奥で、何かがコトリと動いた。
相手から認められた、というより、
お互いに見つけ合った、という感覚だった。

 

透明なもの同士は、見つけ合うのが難しい。

だから時々は、言葉を送る。
忘れられてしまった名前を言い直す。
捨て置かれたコメントだとしても、
消さずに、そのままにしておく。

 

それは、存在を濃くするというより、
自分の輪郭を、たとえほんの短い間でも
描きだすことなのだ。

 

今日も私は、相変わらず画面の端にいる。

 

そして時々、
同じように透明でいる誰かが、目に留まる。

 

透明なもの同士のつながりが、少しずつ重なっていったら、
そこにはどんな世界が生まれるんだろう?

 

 

私の輪郭は、
今も、簡単に薄くなってしまう。

 

けれど、
同じ透明な誰かを
見つけること、見つけられること、
その可能性だけは、諦めずにいたい。

 

(完)

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

あなたの未完了の物語を身体アプローチと対話で再編集する心理カウンセラー
・愛着の傷 / 生きづらさ / 発達凸凹
・身体アプローチ × パーツセラピー × 原始反射統合
・心の安心基地をつくっています
日本心理学会認定心理士 / 療育整体師

さとうみゆき

 


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