
人生って、まるで椅子取りゲームみたいだなと思うこと・・・あなたはないですか?
以前ほどではないけれど、わたしは、今でも時々、そんな風に思ってしまうことがあります。
・〇〇の才能で輝くという椅子
・〇〇という性質で人から愛されるという椅子
・〇〇という特技で人の役に立つという椅子
音楽が止まると、周りの人がどんどん席を確保していく。
「私はどこに座ればいいんだろう?」と、焦りと孤独が押し寄せる。
立ち尽くすうちに、残された椅子はもうないような気がしてくる。
気づけば、ひとり、その場で立ってる私がいる。椅子に座っている人の視線がこう言っている・・・
「あなた、お呼びじゃないですから」
と。
今でも、そんな気分になったときは、こんな言葉を思い出します。
「人生の意味は、何者かになることじゃなくて、何かで”ある”ことだ」
って。
分かる・・うん、わかるよ・・・。
――でも、そう言われてもさ、何かにならなければ誰も認めてくれないじゃない。
信じてもらえないし、手を差し伸べてもらえない。
私が長年やってきた写真だって同じ。
昔、ある有名な写真家さんの撮った雑誌に掲載された写真を見ていたとき、
正直、「私もこれくらい普通に撮ってる」と思ったことがあった。
でも、すぐに私なんかがそう思うなんておこがましい・・って恥ずかしくなって、「私の知り合いの〇〇さんの方が、ずっと素敵に撮るし!」って訂正した。
情けないよね・・💦
なのに、彼女の写真は選ばれ、こうして世の中で求められている。
何者かにちゃんとなった〇〇さんだから、こうして写真に光を当てられているんだ――
そんなふうに思ってしまった。
そして、心の奥でつぶやく。
「もう、私が座る椅子なんて、世界のどこにも残ってない」
「私なんて、一生、なにもなれない。誰からも求めてもらえない。頑張ったところで、
私の思いなんて、きっと一生、この世界のだれにも届かない」
そんな思いが胸の奥で、重く響く日々が続いた・・・。
けれど、ある人が言ってくれた言葉が私の心に小さな光を灯してくれた。
椅子取りゲームってね、“誰かが音楽を止めた”から生まれたルールなの。
でも、みゆさんの人生は、誰かが止めた音楽の中で競う必要なんてない。
自分で音を鳴らし続けていいの。
みんなが座って静止したときに、まだ踊っている人がいたら
――きっと、その人が本当の芸術家なんだよ
その言葉に、少し涙が出た。
ああ、そうか。
私は「椅子を探す人」じゃなくて、「音を奏で続ける人」でありたかったのかもしれない。
何者かになってもいいし、ならなくても、いい。
私にこのことを教えてくれた人のように、誰かの心の奥で静かに灯る光を届けたい。
称賛のかわりに、共鳴を。
結果よりも、今、撮るという行為そのものを生きたい。
椅子の形は、もう昔のような形の椅子じゃない。
光の中に、すっと現れる柔らかな場所に、
私だけが編み続けている、変幻自在な私だけの椅子。
私だけに聞える、小さな音色を奏でながら、
そこに座りたくなった時は、私はいつでも腰かけようと思う。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
ありおりカウンセリング
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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心のもやもやは、大きくなる前に話して、ケアしていきましょう^^
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