わたし歩記-あるき-

あなたの未完了の物語を身体アプローチと対話で再編集する心理カウンセラー のブログです

ごみと神さまと、私の気づき

 

 今日から9月。新学期が始まって、慌ただしい朝を迎えた方も多かったと思います。そして、2025年もあと4か月で終わり・・というこの現実に、今一度、気を引き締めて。日々の出来事から得られる、どんな些細な気づきをも、しっかりとキャッチしていきたいと思いました。

 

 ということで、今朝は地元の氏神様まで、朔日詣へ。実はこの参拝の少し前に、こんな出来事がありました。

 

 

 今日は不燃物の収集日。通常のプラスチックごみの外、小型家電や電池類、割れたガラス容器やスプレー缶といった危険物も収集される日です。

 

 自宅のゴミをまとめながら、私はいつものように、家屋の東側に接面している3階建てのアパートとの境界線を見回ります。すると・・やはり、ありました。家では購入していない整髪料のスプレー缶の他、缶ビール(いつも同じ銘柄)の空き缶が数本。

 

 もう何年も前から、隣のアパートの2階の住人が、どういう了見なのかは分かりませんが、自分の家のゴミを、ベランダから我が家の敷地内に放り込んでいるようなのです。ビールの空き缶は、もう何度拾ったか分かりません。2階の窓からその家のベランダがちらと見えるのですが、同じ銘柄の空き缶が、常時10缶は置かれています。スペースに置ききれなくなると、どうやらベランダから階下に放り投げているようなのです。

 

 先月、下着(男性用でした)まで落ちてきたときには驚いて、アパートの管理会社に連絡し、回収してもらいました。それでも、相変わらずのいたちごっこ。💦

 

でも、さすがに今日という今日は、


「どうして家のごみじゃないのに、我が家で拾って処分しなきゃいけないの?」
「いっそ(その人)引っ越してくれたらいいのに…」
「目の前から消えてくれないかしら・・・(怒)」
「このゴミ、あっちに投げ返してやろうかしら!!(激怒)」

 

と、腹立たしい気持ちやどす黒い呪いのような感情が次から次へと溢れてきて、自分でもどうすることも出来なくなってしまいました。

 

結局、落ちていたゴミをむしゃくしゃしたまま拾い上げ、 脇に置き、その波立った気持ちのまま、出かけたのです。そう、朔日詣に。^^;

 

 

 私は氏神様に参拝するときは、先ず、本殿の裏手にある厳島神社にお参りします。清らかな湧き水がたゆたう弁天池には、亀や大きな鯉がたくさん泳いでいて、ぼーっとそれらを眺めている方をよく見かけます。池の真ん中を小さな橋が渡っていて、御社はちょうど池の真ん中です。橋を渡って、さあ!お参りしよう・・と思ったその時でした。池の周りをぐるりしている赤い柵に、何やら注意書きのプレートが下がっているのが目に入りました。「こんなの前からあったかしら?」と不審に思い、書いてある文字を読んでみると、そこには・・・

 

「家庭内のごみを池に投げ入れないでください」

 

と記されているではないですか!!!

 

…はあ? ご神域である神社の池に、家庭ごみを投げ入れる???? そんな罰当たりなことをする人がこの世にいるの?!

 

と、もはや呆れながらも、行き場のない怒りが同時に込み上げてきました。

 

(どういう神経してるんだろう。そんなことする人間、この世に存在する価値ないわ!)


おこがましくも、そんな強い言葉が心の中に湧き上がったのでした。

 

でも、その一瞬後に、はっと我に返ったのです。

 

「いくら神さまだって、理不尽が度重なれば、今朝の私の気持ちと同じになるかも知れない…」と。

 

もし神さまが同じように感じているとしたら・・・?

 

「どうして私のごみじゃないのに、神が拾って処分しなくてはならないのか?」
「人間が目の前から消えてくれないものか・・・(怒)」
「このゴミ、人間世界にそのまま投げ返してやろうか!!(激怒)」
「この国の民は、この国に存在する価値なし、滅!」

 

そう思われていたとしたら…

いや、そう思われつつ、あったのだとしたら...

 

背筋がぞっとしました。

 

 

神さまだからといって、すべてを慈悲深く、寛容に受け入れてくださっていると思うのは、人間側の勝手なエゴ・思い込みなのかもしれません。今朝も、東寺でお賽銭箱が盗難されたというニュースを見たばかりです。


むしろ、すでに神さまの怒りは発動しているのではないか――そんな感覚さえ湧きました。

 

 

そして参拝の直後、心の奥に浮かんできたのが、こんな言葉でした。

 

 

「祈りとは、”意乗り”。この世の問題を自分事として受け入れ、具体的に解決するために動くこと。願いを神さまと共に具現化することが、本来の”祈り=意乗り”」

 

 

家に戻るとすぐに、私はさっき拾ったままにしておいた、隣人が捨てたごみを透明のビニール袋に入れ、「危険物」と大きくマジックで書きました。次の収集日にきちんと出せるように準備して。

 

神さまに、「あの件をどうにかして、何とかして・・」と縋ることよりも、せめて自分のテリトリーで起きていることに関しては、自分の手足を動かして、自分が欲しい現実を生み出そうとする方が、ずっと具現化は速いのです。だって、神様には、手も足もないのだし、神さま自身のことで忙しいのだから。

 

本来は当たり前のことだけれど、これが、世界平和等になったとたんに、「神様、何とかしてください」と、他責思考になってしまうのが、私たち、人間なんですよね。

これだって、もうのんきに祈ってる場合じゃないところまで来ちゃってる!

 

本当は、どんな願いに対しても、祈り方(意乗り方)は、同じなんじゃない?

 

小さな一歩からでも、「怒り」や「呪い」で終わらせず、具体的に動くことが私にできることってなんだろうと、そんな風に祈りを変換できた出来事でした。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

ありおりカウンセリング
写真家・認定心理士,産業カウンセラー

さとうみゆき

 


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