わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

言葉の水脈が動き出した4月

 

 5月が始まって3日目。ようやく、5月らしい空が広がっています。

 

 先月は、ここ2年ほどの中で、私としては不思議なほど次から次へと俳句を詠めています。いつ頃からだったか、言葉がきゅっと詰まったように自分の中から出なくなり、自分が主宰している花拾い句会へ投句する3句でさえ、どうにかこうにかやっと・・といった状況が続いていました。

 

 その理由を考えてみました。4月から結社に入り、月に6句投句しなくてはいけなくなったという”締め切り感”が背中を押してくれているのもあるとは思う。さらに、6句を投句するために、些細なことでもとりあえず「拾っておこう」という意識になったことで、言葉を紡ぐことへのハードルを意図的に下げられたことも良かった。

 

 メモした時には凡庸な走り書きであったとしても、後から推敲を重ねることで、作品に昇華するというプロセスに至ることが出来ている。そういうのもアリなんだよなと思えるようになった。

 

 こうなって分かったことだけれど、最初から”完成形”を求め過ぎていたのかも知れない。口からするすると生み出された瞬間から、「真・善・美」の境地で在らねば・・・みたいな、身の丈に合わない理想主義に縛られてた。それが出来ないからと、嘆いたり、私には向いてなかったって思おうとしたりして。

 

 それから、「この作品はゆくゆくどこか特別な大会への投句用に保管しておこう」といった未発表作品のストック癖が、これまでは多分にあったと思う。良い意味で、「詠んでは捨てる」という潔さの境地にならざるを得ない環境に身を置けたことで、今の私をそのまま飾らず残しておけたらいいじゃないか・・という俳句との付き合い方に変わった。がちがちに固まっていた言葉の水脈が、気ままに、わがままに動き始めた。

 

 スランプ・・なんて大そうなものではなかったと思う。ただ、詠もうとしなかった、もっと言えば、詠みたくなかったのかも知れない。

 

 最終的には、人の評価とかどうでもいい。評価なんてあやふやなもの、好きなことが楽しめなくなるくらいなら、捨ててしまったっていいのだ。後から読み返した時に、私だけが理解できる、日記になり果てたとしても、それはそれで愛おしいじゃないかと思う。

 

 4月は、人の「生死」に接する機会が多かったためか、あの世とこの世を行きつ戻りつするような言葉が”ふらここ”のように揺れている。気持ちが悪いと思う人もいるかも知れないけれど、数十年後?数年後?そんな4月が確かにあったのだと後から読み返した時に2025年に想いを馳せるのも一興だと思う。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

ありおりカウンセリング
写真家・認定心理士,産業カウンセラー

さとうみゆき

 

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