先週の日曜は、花拾い句会のメンバーさん3人と、NHK全国俳句大会の会場(NHKホール)へ行ってきました。
嬉しいことに、メンバーの4人ともに入選。その中のおひとりの方は、選者である神野紗希先生から佳作の選をいただき、大健闘でした。(祝!)
私の拙句もこちらに掲載していただきましたので、どこかで見かけた折には、ページをめくってみてください、^^どの句も本当に素晴らしく、優れた句というのは、どんな素敵な写真さえ、そこに描写された世界には敵わないと思ってしまう・・。
で、そうそう・・写真の話が出たので写真と俳句について、思うところを少しお話しようと思います。
私はこれまでずっと、俳句と写真は、その表現の完成プロセスが似ている、とみなしてきました。でも、最近になって、「あ、近しいけれど、ひょっとして、全然違ったかも?」と感じるようになったのです。
俳句も写真も、「悲しい」と言わずして、作品に「悲しさ」を表現する・・つまり、感情を詠うことなく、それを読み手に汲んでもらう、味わってもらうアートであり文藝です。
でも、そもそも写実というスタート地点に、シャッターを切った瞬間に立てる写真は、「何をどう切り撮るか」を、カメラマンが間違いさえしなければ、誰もが到達できる。
一方俳句は、写実こそが命。写真においては、カメラというツールで行えることを、すべて人間の脳内で紡ぎ出される言語で行わなければいけない。「あ、いいな」と思った素材があっても、写実というスタート地点にさえ着床できずに、流れていく画の、日々なんと多いこと・・・。
そういう意味では、俳句の方が自由度は高い分、難易度も高い。感情を詠み手に想像させるなんてことは、次の次の段階であるわけで・・・。だからこそ、日本人の感性が育て守り、つないできた「季語」という素晴らしい「ことだま」が存在しているように思います。
つまり、俳句を詠むことは、写真表現の肥やしになるけれど、その逆・・
写真の表現スキルと俳句のスキルというのは、必ずしも比例するものではないな・・と気づいたわけです。俳句をされる方は、写真もきっと上達されるのだろうと思う。
優れた一句が写真を超える・・と感じるのも、そこに理由があるのかも?と思った、俳句歴5年目の春でした。
そして、今さらの今さらなのですが・・・
4月の始まりと同時に、とある俳句結社に入らせていただきました。これに関しては、ほぼ勢いかなあ・・^^;
そのことを句友さんに報告したら、「え?それって、エイプリルフールじゃなくて?」って言われました!(笑)
「ガチです!」って返事をしたら、笑ってました。^^;
これからも、純粋な不真面目さを大切に、俳句を楽しんで続けていきたいなって思っています。
最近買った、お気に入りの句集。
自分の好きな俳人の方の傾向がだいぶ分かってきました。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
ありおりカウンセリング
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
心のもやもやは、大きくなる前に話して、ケアしていきましょう^^
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