例えば目の前で、突然腹痛を訴えて倒れ込んだ人が居たとして、あなただったらどうしますか?
その人は、「痛いよお、痛いよお」と声を絞り出すようにして、涙を浮かべて必死に痛みに耐えています。
きっと殆どの人が、「どうしたんですか?」と声をかけ、状況によっては即座に救急車を呼んだり、その人が不安そうであれば、背中をさすってあげるなどすることでしょう。
ところが、これが自分自身の心の痛みだったとしたらどうでしょう?
「痛いよお、痛いよお」と啼いている自分自身に、いつもどんな言葉をかけていますか?どんな態度で接していますか?
私自身の場合を振り返ってみると、あらかたこんな具合だったと思います。
「ちょっとお~、何泣いてるの~?」
「今、泣かれても困るんだけど・・」
「おいおい、勘弁してよ~」
「情けないなあ・・」
「我慢しなさいよ!」
「これくらい痛くない、痛くないって!」
「え?他の人は平気なのに?」
「うるさい!だまれ!」
はじめに挙げたお腹が痛い人に対する態度とはえらい違いですよね。(-_-;)
そして、誤解を恐れずに言うならば、これ・・・
虐待(身体的にも心理的にも)する養育者と児童の関係、そのものだったのです。
これでは、自分自身への愛着が育たなくて当然です。
愛着トラウマを負っている方は、「自分を愛する」とか「自分を好きになる」とか「自分を大切にする」という言葉を聞いても、なかなかイメージすることができません。ましてや、具体的に何をどうしたら良いのか?などは、もっと分からないのではないでしょうか?
先ずは、この言葉掛けから始めてみませんか?
「いま、なんか、辛そうだけど、どうしたの?」
それだけでいいです!他、難しいことはいいので、
「どうしたの?」
この五音の言葉を、自分自身に贈ってみてください。そして、湧き上がって来る感覚が何かあれば、それがどんな感じかを、ただ受け止めてみてください。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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