わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

最期の保証があったとしたら

Sonyα7Ⅲ with Sony90㎜ Macro f2.8 G OSS

 

 

 40代後半を迎えた頃からでしょうか。悲観的だと思われても仕方がないのですが、1日の内に数回、本当になんでもない瞬間に、ふと考えてしまうことがあります。それは・・

 

「わたし、この家の中のどこで最期を迎えるんだろう?」

 

ということ。

 

 わたしには子どもがいませんし、妹も未婚で遠方暮らしです。まあ順番でいけば、夫が先に逝くのでしょうから、(有料老人ホーム等に入らない限りは)最終的には、この家の中でひとりぽっちになるわけです。

 

 例えば、階段で転んで骨折する、お風呂場で急に心臓麻痺で倒れる、夜中に起き上がろうとしたら心筋梗塞で倒れる、トイレでクモ膜下出血を起こして倒れる、ガンに罹患して治療費が払えずに自宅のベッドで痛みにもがきながら・・・

 

 

などなど、家の中のあらゆる場所を、自分の死に場所(仮)として観てしまうのです。そして、ひとりぽっちと言うことは、発見もだいぶ遅れるでしょうから、見知らぬ人にご迷惑をかけることは必定。

 

 

と、ここまで想像しては、

 

「あ~あ~。もし最期を安心して迎えられる完全な保証でもあれば、人間の精神はどれだけ安堵して日々を過ごせるだろうか・・・」

 

などと独り言て、また日常の慌ただしさに意識を戻すのです。

 

此処までの妄想をするのにかかるのは、恐らくものの30秒くらいだとは思いますが、歳を重ねるごとに、この”30秒”の回数が増えているような気がしてなりません。

 

 

そんな折に、こんな記事を読みました。

 

 

president.jp

 

 

そうでした。自分の最期を心配しているどころではなかったよ。
先ずは自分の両親のことでした。

 

記事では「最期について家族と話し合っておくこと」がおススメされています。つまり、「胃瘻はしない」とか「極端な延命措置は不要」といったことについてです。

 

 

でも、この部分を読みながら、わたしは、

 

「でも、申し伝える相手がいないであろうわたしは、そもそもどうしたら?」

 

と、再び、終わりなき疑問のループに落ちてしまうのでした。

 

 

で、ここまで到達すると脳が思考停止になるのか?ようやく、

 

 

「いや、考えても仕方がないことは、今は考えない!」


「せめて、老後の孤独にだけでも耐えうるメンタルを養うお稽古をしよう」

「元気なうちに、やりたいことはできるだけやろう!」

 

などと暗示のようにつぶやいて、日常へと戻っていくのでした。

 

 

こんなことを書きたくなってしまう、心もとない日もありますね。
うん、きっと秋の長雨のせいってことで。^^;

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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