わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

新しい生活に向かって

Sonyα7Ⅲ with Sony135㎜ f1.8 GM

 

 終末期の父の介護のため、東京での生活に幕を閉じ、実家へと戻る妹を先ほど見送ってきました。

 

 20日に部屋を引き払いましたが、不動産屋さんによる部屋の内検が別日だったために、今日まで6日間、妹とは一緒に暮らしました。その間、東京での良い思い出が一つでも増えるよう、いろいろな場所に、二人で出かけました。こんなにも毎日のように姉妹で出歩くのは、一体いつ以来だったことでしょう。

 

 わたしと妹は、彼女が中学2年生、わたしが高校2年生の時以来、家の事情で別々に暮らすことになったため、共に生活できた時間は、実はそう長くはありません。

 

 

 その後もわたしは東京で進学・就職し、そのまま結婚、渡米となかなか定住しませんでしたし、妹も30歳で実家を飛び出してからは、住まいを転々としていたため、電車で10分もしない隣町に暮らせるようになってからの10年ほどは、子どもの頃に一緒に居られなかった時間を、取り戻そうとしたかのような日々でした。わたしにとって妹は、身内であって親友のような、世界でたったひとり、どんな自分のことも取り繕うことなく、ありのまま話し、そのまま理解してもらえるような相手です。私たちが育ったのは、なかなかに生きづらい原家族ではありましたが、彼女と姉妹になれたことだけは、手放しで神様に感謝できると思っています。

 

 

 妹が実家に帰るにあたり、わたしにはとても気がかりなことがありました。それは、妹が実家から飛び出してきた、そもそもの経緯です。

 

 彼女は大学を卒業後、地元の金融機関で働いていました。ご近所にその金融機関の頭取が居り、昔から家族ぐるみで親しくしていました。頭取の奥様は母と同じ高校出身の先輩後輩という間柄で、つまりその縁故で妹は入社をしたのでした。

 

 妹は気立てが穏やかで、上司から頼まれたことはどんなことでもニコニコ嫌な顔ひとつせず引き受けるような子でした。他の人が避けたがる、休日の地域商業のお手伝いも積極的に参加し、窓口業務では、おじいちゃん、おばあちゃんの人気者でした。

 

 事件は彼女が3店舗めの支店に異動した時に起きました。得意先の某企業から預かったお金、80万円が、なぜか彼女の口座に入金され、振込用紙には、彼女の印鑑が押されていたのです。もちろん、妹には何の心当たりもありませんでした。

 

 この事件のことを初めて私が知ったのは、私の渡米が決まり、しばらく会えなくなるからと、妹を誘ってサイパンへ旅行した時でした。夜、彼女の様子がおかしいので問い詰めると、泣きながら告白されました。

 

 聞けば、支店の上司に「自分は横領などしていない」と弁明し、先方も「分かった」と理解を示してくれたものの、彼女の印鑑が押してあったことは事実であるし、「ひょっとしたらやったかもしれない」という周囲からの不信感を感じながら仕事をしている日々が続いていて、それが何より辛いとのことでした。また、他に犯人がいるのなら、自分は誰かに恨まれているのかも知れない。でも、誰なのかが分からない。とても怖い。両親には話したの?と尋ねると、「言ってもどうにもならないから、言ってない」とのことでした。

 

 これを聴いたわたしは、烈火のごとく怒りました。第一に、妹がお金になど一切困っていないことは、よく知っていましたし、妹は、そんなことが出来るような人間ではないからです。サイパンから戻ったわたしは、妹に「辛かったら仕事なんて辞めていい!何もしていないのに死にたいだなんて、理不尽だ!」と諭し、聞いたことを両親に全て話しました。

 

 で、結局その後、どうなったかと言うと、妹は会社を辞めました。そして、その後2年間、強い人間不信に陥った彼女は、部屋に引きこもることになりました。この2年間、わたしは渡米しており、何も彼女にしてあげられなかった。一番しんどい時期だっただろうにと、悔やんでも悔やみきれません。頭取の方が後に家に謝罪に来られたのですが、両親は、妹の名誉棄損と無罪を訴えることもなく、穏便な近所づきあいの方を優先しました。わたしは、出るところに出てでも戦いたかった。そして、新犯人が居るのなら、見つけ出して、その人の頭を泥水にぶち込んで、踵で踏みつけてやりたかった。いまでもその気持ちは、あまり変わっていません。ひとりの人間にとって大切な20代の2年間を踏みにじり、ぬぐえない複雑なトラウマを残し、今でもどこかでのうのうと暮らしているヤツがいるかと思うと、憎くてたまらないです。神様、ごめんなさい、とても赦せそうにありません。

 

 2年引きこもった妹でしたが、ある時ふと思い立って参加したパン教室でパン作りに目覚めます。東京の専門学校に通いたい!という妹に当然両親は反対しましたが、それを押し切って家を出て、ようやく妹は社会復帰をし、東京で15年間、今日まで頑張ってきたのでした。誰も彼女を知らない場所での生活が、良かったのだと思います。

 

 

 そんな背景があっての、今回の引っ越しです。わたしは、彼女が東京に残りたいとなった時のことも考えていました。わたしが実家に帰って介護をすればどうだろう?と思ったのです。でも、父と母が欲しいのは彼女の方でした。わたしは最後まで「帰りたくないのなら帰らなくてもいいんだよ」と伝え続けました。が、彼女が選んだのは帰ることでした。

 

 「もう、戻っても大丈夫?辛くない?」と彼女に聞くと、「向こうは嫌だし辛いし、やっぱり東京に居たい。でも、仕方がないよねえ。」と答えました。

 

 

 彼女の人に対する恐怖心と不信感はかなり癒されていると思いますが、何がトリガーとなってまた人を回避するようになってしまうのかは、実際に生活が始まってみないことには分かりません。また両親と日々日々共に居ることでの精神面への影響も未知数です。ただ、東京で過ごした15年間で培った自信や経験は確かな財産です。彼女にはそのことを誇るように、この6日間ずっと言い続けました。きっと大丈夫だとわたしも信じたいです。

 

 

 わたしにとっても、明日からは新しい生活が始まるような気持ちでいます。またいつか妹と一緒に暮らせる日まで、そして、できるだけ彼女の実家での負担が減らせるように動いていこうと思っています。

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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