わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

もしかしたら、そこに居たのはわたしだったかも知れない

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 15日の朝、東京大学弥生キャンパスで、17歳の少年が3名の男女を刺すという、痛ましい事件が起きました。自宅で第一報を受け取った時、先ず思ったのは、「ひょっとしたら、少年に刺されていたのは自分でもおかしくなかったのではないか?」ということでした。なぜなら前日の14日の朝、わたしはたまたま東京大学を訪れていたからです。

 

 

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 東大前で下車した目的は、大学のちょうど裏手にある「弥生美術館」で開催中のこちらの展示を見るためでした。

 

『谷崎潤一郎をめぐる人々と着物 ~事実も小説も奇なり~』

 

www.yayoi-yumeji-museum.jp

 

 

 入館にはあらかじめオンラインでの予約が必要でしたので、14日にするか15日にするかで迷い、結局14日の10時半で予約をしました。そして、どうせなら・・と、東京に住んでいながら、まだ一度も行ったことがなかった東京大学なるものを、スナップ撮影がてら見物してみようじゃないか!と予約時刻よりだいぶ早めに現地入りしたのでした。

 

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 雑誌でしか見たことがなかった「東大赤門」を初めて見たり・・・

 

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 重厚で、まるでヨーロッパの建造物のようなキャンパスに、「さすが、雰囲気違うな~」と感心しました。

 

 

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 それがまさか、翌日のだいたい同時刻、この場所で、あんな事件が起きるだなんて・・・。もし、東大を訪れていたのが15日朝だったとしたら?そう考えずには居られませんでした。だからこそ、今回の事件は、他人事とはどうしても思えなかったのです。

 

 

 17歳の少年は、東大、医学部に入りたかった。でも、このところ成績が振るわず、絶望していた。「罪を背負って死のうと思った」という言葉からは、「もう死ぬしかない」という後に引けない状況に自身を追い込めば、死ぬ覚悟ができるに違いない・・という他人に依拠した思考回路がうかがえます。なぜ?なぜ、わざわざ?死にたいなら、人を巻き込まずに勝手に一人で死ねばいいだけじゃない?!理由なんて必要?!きっと多くの方がそう思ったに違いありません。

 

 では、何故彼が、ひとりで死なずに、地元ではなく、夢だった東大で人の命を奪おうとしたのか?これはあくまで想像ですが・・・。彼は(矛盾するようですが)死んでも東大・医学部へ入る夢だけは諦めたくなかったのだと思います(恐らくは、逮捕された今でさえ、諦めていないはずです)。非常に、頭が良い子だったのでしょうね。その「死んでも手放したくなかった夢」をどうしたら自分に諦めさせられるのか、ロジカルに・・でも、幼い衝動性で考えたのでしょう。そして、「人を殺す」という人間が最もしてはならない倫理規範を破れば、その夢を諦めざるを得なくなると考えたのではないでしょうか?「他人の命」を自分の夢を断念するための”生贄”にしようとした。死ぬ理由は、あくまで「夢を諦めたから死ぬ」のではなく、「他人の命を奪った罪人だから」ということにしたかったのではないでしょうか。どうあれ、それを「自分勝手」とこの世では呼ぶのですが・・・。

 

 

 今日は1日、心理臨床の見立ての講座を受講していましたが、そこでも心理発達段階で、「自己責任の内在化」ができない大人が増えているという話題が出ていました。 いつ頃からわたしたちは「夢を諦める」ことにさえ、「自己責任」を取ろうとせず、他人を巻き込むようになってしまったのでしょうか?

 

 

 同じような事件が起きるたびに、一体どこから、どのボタンの掛け違いまで戻ればよいのだろうと思いを巡らします。臨床に関わる学びをしている自分には何が出来るのだろうかと、自分の無力さ、非力さを嘆きたくなります。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

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写真を眺めてほっと一息^^  

 

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