わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

愛着障害、ACの人にとって本当に必要なのは”ふつう”の人だと思う

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hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

 ここ数年の間(特に夏以降)、自分の不安定さのルーツを理解し、両親との関係も改善されるにつれ、日々の心の状態が、自分でも自覚できるほどに穏やかになってきました。また同時に、人と一緒にいても、以前ほど疲れにくくなり、むしろ、楽しいと感じることが増えました。そして、「自分」という輪郭がはっきりしてきたのを感じています。

 

 

 もちろん、凹むこともあるし、「どうせわたしなんて・・」というお決まりのループにハマることもあるのですが、人格(パーソナリテイ)と自律神経の反応を分けて考える術を知った今は、しっかりと体感と感情をトラッキングし、短時間でニュートラルな状態にリカバーできています。これが何十年もずっと”そうあれたら”と切望してきたことだったし、恐らくはヘルシーな発達を遂げてきた多くの人たちが、当たり前に立っている境地なのでしょう。人生でだいぶ差がついていたんだなあ・・と思うと、悲しみが襲ってきますが、それもまた受容していくのがわたしの人生なのだと(良い意味で)諦めました。

 

 

 愛着の否認が解けて、発達性トラウマが癒されてきたことを、わたしが一番自覚できた根拠は何だったのかというと、「見下し」、所謂「理想化とこき下ろし」の「こき下ろし」が減ったなあということでした。

 

 

 この「見下し」や「こき下ろし」の心理に関しては、多くの愛着障害について書かれた書籍にも登場しますので、知識としては知っていました。ですが、潜在的に自分がこれをしてきたことや、これこそが回復を阻むトラップ(罠)だということは、そこを抜けてみないと、分からないものだなあと実感しています。

 

なので、いま、この苦しみの渦中にある方は、今から書くことを読んで不快になるかも知れないし、防衛機制が働いて、頭に残らないかも知れませんが、それでも、いつか、あなたが「そういうことだったのか!」と思える日が来た時に、後付けで発見するマイルストーンになったらいいなという思いで書かせていただきます。

 

 

 愛着障害やACの方と言うのは、ある意味、しんどい人生のサバイバーです。小さい頃から、自分のあらゆる感情を受容されたり、認められたり、「あなたはそのままでいい。そのままで大切。」という環境で育っていません。下手をすると、(ヤングケアラーといって)自分が親の代わりになって、親を励まし続けたり、親の心の傷を受容し、保護して生きて来た方も多いと思います。その上で、自分の感情をギリギリのところで崩壊せずに保って、理解者が誰もいない中、頑張ってきた。(一見)謙虚だし、組織の中では人格者だと思われている方も多いでしょう。過剰な頑張り屋さんも多いと思います。だから、”〇〇認定講師”だとか、”〇〇専任講師”みたいな資格を複数持っている人も多いはずです。

 

 

 この”自分は誰にも頼れない、理解されない中、ここまで生きて来た!”と言うのが、愛着障害やACの方の心を支え続けているプライドです。それはもう、誰も追随させないくらいの、高い、高い、プライドです。もちろん、本人が大声でそう言ってるわけではなく、”口にこそ出さないけれど”というところがポイントです。裏を返せば、”口には出さないけれど”、”察しなさいよ!”というメタメッセージを背負って生きています。でも言えないのは、”自分の本当の気持ちやニーズ”を口にしたら”攻撃される”、”見捨てられる”という、間違った愛着の認知があるためです。これは、本当に苦しいです。なぜなら、巨大な”ダブルバインド”の中に、生きているから。

 

 

 これはわたしの場合ですが、数年前まで、自分より恵まれた人生・環境(と思われる)を歩んでいるカウンセラーやセラピストに対して、無意識に「見下し」が働いていました。わたしが味わってきた屈辱、苦しみ、惨めさを体験したことのないお前に何が分かるの?!分かってたまるかよ!という心理ですね。そして、自分よりも明らかに悲惨な人生を生きている(と思われる)人物に対して、無条件に尊敬の念を抱いていました。そして、そんなカウンセラーやセラピストたちのいうことを、妄信していました。

 

 

 例えばですけど、

 

『〇〇千万の借金を背負ったが、このメソッドで回復して、借金も全額返済』
『幼い頃、親に虐待され捨てられたが、ある日、釈迦の声を聴いて世界を救う道に目覚めた』

 

みたいな(派手に過去の不幸を豪語する)人たちを尊敬し、その人がどんな風にみんなから憧れられるような人生を手に入れたのか?を知りたくて必死でした(なんだか書いてて情けなくて泣けてきちゃいますけど。苦笑)。で、こういう方たちって、人の心に寄り添う”フリ”だけは、本当に上手なんですよ。健康なふつうの人たちがしている、”ヘルシーな共感”では満足できない、愛着障害やACの人たちは、彼らの芝居がかった、粘着質なテクニックの前には、”イチコロ”です。

 

 

 彼らは、本当に向き合わなければいけないことからは目を背けさせ、代わりに、あなたが生きて来た人生の苦労に尋常ではない”共感”を与えてくれます。一見良さそうですが、これが更なる地獄の入り口です。なぜなら、本来、手放すことで、楽になるはずのあの”プライド”を益々高くしてくれちゃうからです。

 

 

 自分の特別感や万能感を歪んだ形で強めていくため、ヘルシーな人とのふつうの”感情調整”がどんどんできなくなります。気づいた頃には、”わたしを理解できるのは、特別な能力を持ったあの人だけ”という誤った認知ががっちり形成されてしまいます。

 

 

 ここまで書いてきて、薄々お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、多くの過去の悲惨な苦労を必要以上に豪語し続けている方たちと言うのは、その方たち自身が、愛着障害やACから回復されていない場合が多いのです。前にも書きましたが、愛着障害の治療と回復に最も必要なのが、「安心・安全」を土台とした”感情調整”です。この人たちと”感情調整”を行ったらどうなるか?分かりますよね?^^;さらに愛着の傷を互いに深め合うだけです。

 

 

 わたし自身の愛着回復へのプロセスがそうだったので、ある意味確信しているのですが、愛着障害やACの方に必要なのは、”ふつうの人”です。”ふつうの人”と言うのは、あなたが散々「見下し」、「苦労しらずのお前になんか、私の気持ちが分かってたまるか!」と潜在的に「こき下ろし」てきた、ヘルシーな発達を遂ている方たちです。

 

 

 その人(ヘルシーな人)たちは、時に「嫌なことは嫌」と言うし、「それ、おかしいと思うよ」とあなたに真っすぐに言ってきます。これ、怖いでしょう?否定されたと思ってしまうでしょう?邪魔されてると思うでしょう?攻撃されたと思ってしまうでしょう?見捨てられると思ってしまうでしょう?

 

 でも、この方たちこそが、あなたの回復に、本当は必要な人たちです。安定した、穏やかな、凪のような感情調整をしてくれる人達です。その人たちは、自分の過去の不幸話を、これみよがしにしたりしないし、何か特別で不思議な能力を持っていないかも知れません。どこにでもいる、特別目立たない、あなたが、以前は気にも留めようとしなかった人たちかも知れません。そして、実際の世の中には、こういう人たちの方が、実は多くて、安心・安全なのです。

 

 

 そのことが理解できて、そこに安心できるようになったら、なんだか、毎日がいま、穏やかに過ぎています。別になんてことない1日でも、誰の役に立たなかった日でも、それなりに幸せ。

 

 

 自分の人格と自律神経の反応を切り離して考えること。自分の認知を自分で教育し直していくこと。わたしの生きづらさの回復への入り口はここにあったなあ・・と思います。

 

 

 渦中にある方には、どんなに言葉を尽くしても、伝わらない場合もあります。ただ、出口はあるよ。半世紀、もがいて、足掻いたわたしにも、その日が来たからね。あなただって来るよ。そんな希望がひとつでも伝えられたらいいなと思っています。

 

 

 そして回復期のサインは、「見下し」がなくなってきたなあ・・。過剰に不幸を告知する人を尊敬しなくなってきたな。そう思えたら、大丈夫。ゆっくり、ふつうの人生を共に歩んでいきましょう^^。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

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