わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

ほら見たことかのハイタッチなんて気持ちが良いはずはないから

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ワクチン接種会場の一橋大学

 

 本日、ワクチン接種2回目を無事に終えました。

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 前回は正門から接種場所まで、ほぼノンストップでたどり着くことが出来たのですが、今回は来場者が前回より明らかに多く、テーマパークのアトラクションよろしく、何度も何度も列を折り返しながら、ようやく現地にたどり着けたような具合でした。恐らくそれだけ若い世代にも、何らかの”危機感”が浸透してきている結果ではないかと推測されます。

 

 

 コロナワクチン接種については、本当に様々な立場や、考え方があり、「打つ、打たない」、「正誤」、と言った単純な二者択一問題では収まらないことなのだと実感しています。

 

 

 たとえば、わたし自身については、ワクチン接種を受けたいと思った一番の理由は、もう1年以上再会が叶わず、現在実家にて、訪問介護を受けながらガンの闘病をしている父に、少しでも早く逢いにいきたい、そのためにワクチン接種の完了が条件となるのなら、四の五の言わずに打ちます!というスタンス。それ以上でもそれ以下でもありません。また4月からは犬を飼い始めたため、夫とわたし、両方に何かあった時には、当然放置された仔犬は生きて行けなくなってしまいます。それだけは阻止したいところ。正直、世の中の感染リスクを減らしたいだとか、医療従事者さんたちのご苦労が少しでも軽減されれば・・という想いはなくはないですが、あくまでも二次的願望で、やはり一番は、自分(家族)のため、だと言ってよいでしょう。

 

 

 「ワクチンを打ちたい」と思っている人も、「ワクチンを打ちたくない」と思っている人も、突きつめてゆけば、その理由は、大切な人(存在)、愛する人(存在)のためだと思います。同じ目的を持っているのですから、「打つ」、「打たない」の土俵で言い合っていても意味がないんですよね。

 

 

 じゃあ、どうすれば良いのか?

 

 

「ワクチンを打つ」選択をし、実際に「打った」人は、今後「打たなかった人」が遭遇するかもしれない問題を予測し、その時彼らのために自分が出来得る行動や態度について考える時間を持ってみるのはどうでしょうか?

 

 

 例えば、海外では既にそのような場面が起きているようですが、グループで外食に行った際に、ワクチン接種済の人は入店できるけれど、未接種の方は入店不可能という状況が起きた時、ワクチン接種済のあなたならどう対応しますか?「あなただけ別のお店で食べてもらえる?」とその人に言うか、あるいは、「受け入れてくれるお店を探してみよう!」という選択をしますか?

 

 

 また、数年後、数十年後、ワクチン接種をした人に何らかの健康上の問題が浮上するという事態が起きたとしましょう。その時、あの日「ワクチン未接種」という選択をしたおかげで、その不具合をあなたが免れていたのだとして、不具合を負ってしまったワクチンを接種した人たちに自分なら何ができるのかを、仮説レベルでも良いので考えてみるのはどうでしょうか?

 

 

 自分とは違った選択をした人びとが、ある日「ほら見たことか」と思えるような状況に陥ってる時に、同じ選択をしたもの同士で別の選択をした人の前でこれ見よがしに「ハイタッチ」をする・・・。それは決してどちらにとっても気持ちの良いことではないと思うのです。

 

 

 わたしもこれから、この先に起こり得る場面で、自分だったらどうしてゆけるのかを、折に触れて考えてみたいと思っています。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき