わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

カウンセラーに向いていない人って?

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 「カウンセラーに向いていない人ってどんな人?」

 

これは、カウンセリング論の最初の講義で、講師から問われた質問なのですが、あなただったらどんな人だと答えますか?つい先日、公認心理師の知人は同じ趣旨の質問に、

 

 

「誰かに必要とされたいという思いが強いとどこかで壁にぶち当たるかなとは思う。心理士という職業は、クライエントにも社会にも必要とされなくなることを願い続ける業種なので」

 

 

 

とさらりと答えており、さすがだなあ・・、確かになあ・・と、思わず唸ってしまいました。

 

 

 この「必要とされたいという思い」ですが、なるほど取り扱いに技量が求められるニードだなあと思うのです。正直わたしにはまだ、カウンセラーとしての自分が「必要とされなくなることを願い続けること」を純粋に支持できるか?と言えばできないだろうと思います。なぜなら、これから心理士を目指そうとしている者にとっては、そう願えることと、心理士になろうとする行動は矛盾するように感じるからです。必要ないものにわざわざなろうとするなんて論理破綻してますからね。^^;それにわたしは、心理カウンセラーという専門業種は、カウンセラー本人がどう思っていようと、世の中にやはり必要だと思っています。

 

となると…

 

「存在していて欲しいし、必要だけれど、必要とされない方がより望ましい」

 

 

この在り様を必要十分条件で満たす象徴ってないものだろうか?

 

 

そう思い巡らしていたところ、見つけました!うってつけの象徴を!

 

 

それは、「公衆トイレ」です。^^;

 

 

 もし、ある朝起きたら、自宅のトイレが故障してしまっていて、水が流れなくなっていたとしたらあなたはどうしますか?おそらく、自宅以外のトイレに行こうとすると思います。お隣さんと故意に親しいと言う方はお隣さんのお宅にトイレを借りに行くかも知れませんが、そうでないとしたら思いつくのは近くの公園にあるトイレ、そう公衆トイレではないでしょうか?公衆トイレで間一髪、危機を逃れたあなたは、心底ほっとし、安堵し、「ここがあって良かった~」と胸をなでおろすことでしょう。自宅のトイレがすぐに修理されればその後は行く必要はなくなるし、修理までしばらく時間がかかるようなら、修理完了まで何度かお世話になることになるでしょう。

 

 

 カウンセラーと言う存在も、それと同じのような気がするのです。普段は感情の自浄作用が働き、どうにかやり過ごしていた人が、ある時その自浄作用がまったく働かなくなったことでパニックになり、「この感情(症状)をどうにかしなければ!」と思った時に必要になるのが、カウンセラーです。一回のカウンセリングですっきりすることもあれば、数回の時もある。でもあくまでも「公衆トイレ」ですから、「またぜひここで排泄してね!」なんてことは言わない。「もし、またどうにもならなくなった時は、ここがあることを覚えておけば安心ですよ。」と言うスタンスです。クライエントの訪問がない間、カウンセラー側がしておくことと言えば、カウンセラーの自浄作用のアップグレード(学びの洗練)と、最低限の清掃やメンテナンス(自分の体調管理)でしょう。

 

 

 

 そう考えると、わたしが現時点で思う、「カウンセラーに向いていない人」と言うのは、「公衆トイレ」になり切れず、クライエントの自宅までトイレ修理に押しかけたり、ひいては、クライエントの自宅のトイレそのものになろうとしてしまう人・・なのかもしれません。

 

 

 

今日はこれから1日、精神科医高橋和巳先生の講義です。

しっかり学びます。^^

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき