今日、たまたまTwitterで、某カウンセリング団体に所属している女性が書いた、内部組織が変わってしまったので、その団体から卒業しようと思っているという決意表明のようなブログ記事を見つけ、思わず読み耽ってしまいました。そこには、
「〇〇認定講師になるのにトータルで約300万円かかった。でも、自分にとって必要な経験ができたし、手放すことに後悔はないです。」
とありました。ご本人が”後悔はない”と書いているわけだし、外野がとやかく言う筋合いはないのですが、それでも・・、それでもです。300万円を支払って得た”肩書”の価値が、団体から脱退すると同時に跡形もなく消えてしまうようなカウンセラー資格って何だろう?と暗澹たる思いを抱かずにはいられなかったのでした。と言うのも、わたしが大学で心理学を学ぼうと決めた理由に、それは少なからず関わっていたからだと思います。
「もういい加減、関わった人や場に左右されない、自分の学びの軸となるような資格を持ちたい」
心理学部への入学を検討した際に、わたしは強くそう思っていました。これまでいくつか民間の心理系のセラピーを学び、資格も所持していました。ですが、その内のほとんどが、セラピーを生み出した所謂創始者との考え方の違い等で場を離れたり、その団体内での人間関係のもつれなどから距離を置いてしまい、施術のスキルはあるけれども、当然ながら、その資格名を名乗ったセッションは二度と出来ない状況となっています。ちなみにわたしも先出の彼女と同じように、それらの資格を得るためにかなりの投資をしました。そして、場を去るたびに、「でも、自分にとって必要な経験ができたし、手放すことに後悔はない。」と、自分に言い聞かせていたように思います。
でも、大学で心理学の基礎を学んでいけばいくほどに身に染みて思うのは、「どうして、もっと早く、人や環境に左右されない資格のための勉強をしなかったんだろう」ということでした。大学の学部を終了すると、日本心理学会が認定する認定心理士と言う資格を得ることができます。これは、国家資格である臨床心理士・公認心理師になるためのパスポートとしての最下位に位置する資格に過ぎませんが、それでも、いま学んでいる内容は、「こんなことも知らずに今までカウンセリングもどきの行為を行っていたなんて、無知とはなんと恐ろしいことなのだろう!」と震え上がるような内容ばかりです。しかも、大学の2年間で必要な経費は、40万弱。(わたしは3年次編入ですのでこの金額ですが、4年次編入の方ならトータル30万ほどではないでしょうか?仮に300万あれば、大学院なら1.5回は行けます。)そしてもちろん、この資格は人や環境には左右されず、日本で暮らす限り、自分の意思の元申請しさえすれば、生涯名乗ることができるのです。
来週23日からからわたしが学んでいる大学でも秋入学の募集申請の受付が始まります。このところ、コロナ禍もあってか、入学希望者が例年の4倍くらいに跳ね上がっているそうです。大学で心理学を学ぶことにご興味のある方や、自己理解を深めたい方など、気になっているので詳細を聞きたいという方は、ブログのメールフォームから、お気軽にお問合せください。お答えできる範囲のことでしたら、お返事します。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき