わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

後天的にHSPが生まれるプロセス

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 昨日は、生来的な特性だと多くの著書の中で書かれているHSPが、後天的、つまり学習的なものではないだろうか?と言うところまで書きました。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

上記の中でわたしは、HSPの人が抱えやすいと言われている以下の特性

 

 

①深く情報を処理する


②過剰な刺激を受けやすい


③共感しやすい


④心の境界線が薄い・もろい


⑤疲れやすい


⑥自己否定が強い

 

 

については、HSPだからと言うことが主たる理由ではなく、複雑性PTSD(トラウマ)、愛着問題、それによる脳のホルモンやニューロンの問題が関係しているのではないかと考えていると述べました。

 

 

先ずは複雑性PTSDから順番に見ていくことにします。

 

 

 2019年、ICDー11(国際疾病分類)にはじめて複雑性PTSDが公式診断として収載されました。この概念は1992年にアメリカの精神科医であるハーマンによって提唱されていましたが、30年近い年月を経て、ようやく日の目を見たのです。

 

 

 「複雑性PTSD」は、事故や自然災害、予期せぬ暴力等によって死を感じるほどの一度の強いショックから発症すると言われる「単純性PTSD」とは異なり、長期間に渡って繰り返し外傷的出来事に晒され続けることで特有の症状に悩まされると言われています。例えば児童虐待をはじめとするドメスティックバイオレンスやいじめがそうです。また、これに当てはまるのは肉体的な外傷ばかりではありません。食事を与えない、衣類を着せてもらえない等のネグレクトも含まれます。そして、自分がHSPかも知れないと思っている方に一番関わりが深そうなのが、おそらく「情緒的ネグレクト」だと思います。

 

 

 ここまで読んでみて、「わたしは暴力を受けた経験もないし、いじめられた経験もないし、食べ物も着るものもちゃんと与えられてた。それなのにどうしてHSPになったの?」と思われた方は幼児期や児童期に「情緒的ネグレクト」がなかったか思い出してみてください。

 

 

 身体的、肉体的な「ネグレクト」とは違い、「情緒的ネグレクト」は一見すると何も問題が起きていないかのように見えるのが特徴です。分かりやすいように、わたし自身の幼少期の出来事を例にします。

 

 

 わたしの家は、祖母、父、母、妹、そしてわたしの5人家族でした。祖母も父もどちらかと言うと躾には厳しく、母は子どものしつけや、健康管理に関してはいつも祖母や父からの評価を気にしてビクビクしている様子でした。物心がつき始めたある日、母はわたしにこう言いました。


「具合が悪かったり、風邪を引いたかも知れないと思ったら、お母さんにすぐに言うこと。いい?」

 

わたしは、「うん、わかった」と返事をしました。そしてある冬の日、何となく身体に悪寒がし、熱っぽかったので、そのことをその時一番近くに居た祖母に話したのです。子どものわたしにしてみれば、家の中のどの大人に報告しても同じだと思っていたのでしょう。ところが、その後すぐのことでした。母に部屋にそっと連れていかれてこう言われたのです。

 

 

「どうしておばあちゃんに風邪を引いたみたいなんて言ったの?お母さん、おばあちゃんにすごく怒られちゃったじゃない!」

 

 

と。わたしからすれば、何故自分が怒られなければならなかったのかまったく分からない上に、母のことを傷つけてしまったらしい自分がたまらなく情けなく、恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。そしてそのことは「わたしが風邪を引くと、どうやらおばあちゃんはお母さんを叱るらしい」と言う条件づけとなり、そうならないようにしようと神経を張り巡らして自分自身を厳しく監視するようになりました。

 

 

 他にもこんなことがありました。「人からモノを貰ったら、必ず報告しなさい。」と祖母から言われた私は、母方の祖母からおこづかいを貰ったことを祖母に報告したのです。すると、後になって母から、「おばあちゃんから、里で甘やかすなって怒られたわよ。」となじられたのです。わたしは言われたことをしただけ。それなのに、なぜか誰もハッピーにならないことに次第にフラストレーションを感じるようになりました。気づけば、人のコトバの裏側を「~~とは言っているけれど、ほんとうは~~かもしれない」と言う可能性をいくつも同時に思考上に並列できるようになっていったのでした。

 

 

 幼児期から児童期になる際、人の脳は最も効率的に物事が自動処理できるよう、脳のニューロンの剪定が行われることが知られています。先ほどの例でいえば、「風邪ひいたみたい」と子どもから言われた母親が、「どうしたの?熱があるかな?ちょっと測ってみようか。」とか「じゃあ、お布団を引くから、いい子で寝ていようか。」と言った一貫性のある反応をしたとします。すると安心した子どもは、「具合が悪くなったら、お母さんに言おう!」と学習し、その後は他の行動の可能性を切り捨てて、いつも同じ行動をするようになります。これがニューロンの剪定です。ところが私の場合はどうだったのかと言うと、母親からは具合が悪い状態への共感が貰えず、挙句の叱られ、何をすれば良かったのか安定のテンプレートが得られず、その代わりに、「もしかしたら~~だったのかな?ひょっとしたら~~の方がよかったのかな?」と、相手の脳につながるべく複数の反応パターンを思索することになってしまいました。ニューロンの剪定ができないどころか、神経末梢はボーボーで複雑化してしまったことになります。

 

 

これこそが、

 

①深く情報を処理する


②過剰な刺激を受けやすい


③共感しやすい


④心の境界線が薄い・もろい


⑤疲れやすい


⑥自己否定が強い

 

 

の基盤であり、元凶です。刈り込まれるべき時期に刈り込まれなかったニューロンは、そのまま成長しても引き継がれていきますから、知識や複雑な状況判断が可能となった成人では、もっともっと高度な思索や反応が起きてしまっても不思議ではないでしょう。

 

 

 目に見える暴力やネグレクトがなくても、一見どこにも問題はなく、大切に親に育てられているように見えたとしても、共感のズレや不一致、一貫しない反応や過干渉は長年に渡る「複雑性トラウマ」の理由として十分なのです。そして、それらがいわゆる後天的なHSPと言われている症状の醸成に関わっているとわたしは考えます。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき