わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

自分にとっての”鍵語”をみつけたい

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宇宙の奥に暗闇があり、
その前方に光が射す時、
青という色が生まれる。
天に涯(はて)しない青空があり、
その下に海が深い青を
たたえてひろがる。
それらはいずれも
手にとらえることのできない
ティンクトゥーラ(透きとおった色)であり、
闇と光の領域にあって
色になりつつある光である。
 
 
志村ふくみ
『語りかける花』より

 

 

 

語りかける花 (ちくま文庫)

語りかける花 (ちくま文庫)

 

 

 

 何度も読み返しては、瞼を閉じる・・・もう、ずっとその繰り返し。
暗室でことばをそっと掌で掬って印画紙に焼き付けて額に入れて飾っておきたい。わたしにとり、志村ふくみさんをおいてそんな衝動を感じさせてくれた文筆家は、いまだかつて居りませんでした。

 

 

色を奏でる (ちくま文庫)

色を奏でる (ちくま文庫)

 

 

 

 一番初めに手に取った志村先生の著書は、『色を奏でる』でしたが、この本は、わたしの「色」に対するそれまでの考え方をガラリと変えてしまいました。どう変わったのかと言うと、この世にあふれている「色」と言う「色」は、赤だとか青だとか、名称としては独立はしているけれど、空間の中で、「ここから先は赤」「この先は、青」みたいに断絶はしていないんだと言う発見でした。むしろ、どこもかしこもひと続きなのです。この気づきにより、フォーカスアプローチが根本的に変わりました。たとえカメラと言う機械がいかに正確に色と色を区別し、捉えようと、色の境界が滲まず明瞭に存在している世界の方が不自然な世界に映るようになってしまったのです。この先、「色」について書かれたどんな本も、志村先生が捉えている色の本質には迫れないだろうと思いました。もっと言えば、他のどの色を語る本も、突き詰めてゆけば、志村先生がおっしゃっていることに行き着くような気がしたのです。

 

 

 

 何かひとつ、道を極めた方というのは、みなそのように見えるものなのでしょうか?染色にしろ、木工にしろ、絵にしろ、書にしろ、まったく異なるジャンルであるにも関わらず、どの方も悠久の哲学の衣ようなものにゆったりと抱かれているような趣があります。憧れはするけれど、一朝一夕ではないどころか、いくつもの人生を同時に生きてこそたどり着けたようなその境地は、わたしなど一生かけても果てなき夢のまた夢だと思われます。

 

 

 

 いま、「読むと書く」の学びを受けている若松英輔さんが、志村先生の著書について講義をされた際に、「鍵語」と言う概念についてお話くださったのですが、若松さん曰く、どの本にも必ず”鍵語”と言うものがあって、その”鍵語”こそが、その本の次の次元への扉を開ける鍵なのだそうです。そして志村先生の著書の「鍵語」は「色」だと仰っていました。そんな視点で本を読んだことがなかったので、読むことがいっそう楽しくなりました。そして、若松さんはこうも話していました。もうひとつ奥の世界へ、意味の世界へと連れて行ってくれる「鍵語」はひとりひとりにあって、違うのだよ、と。わたしにとっての人生を貫いてゆく「鍵語」って何だろう?いつか、見つかるのかな?見つかるといいな・・・。そして、もし、見つかったとしたら、その先にある別次元の意味の世界ってどんなだろう?やはりそれは書くことや撮ること、写すことを通して、ある時きっと現れてくるはずだから。その日を希望に抱いて、つたなくてもあきらめず、自分のことばを紡ぎ続けていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき