わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

自分の無力感に留まれる力

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グリーフケアについて学び始めて
心から良かったと感じていることの1つ・・
それは、カウンセラーやセラピストをはじめとする
援助者(ソーシャルワーカー)が守るべき
最も大切な”在り方”に
気づくことができたことでした。

 

それまでのわたしは、
どんな人がカウンセラーに向いてる?だとか
ソーシャルワーカーに必須の素質って何だと思う?
と授業等で訊かれた際に、

 

 

「物事をあらゆる角度から多面的に見れる人」
だとか、
「学術的なことも含めて一生学び続ける覚悟がある人」
だとか、
「人の話を深くじっくりと聴くことが出来る”耳”を持っている人」
だとか、
「洞察力が鋭く、共感力が高い、人間観察に長けた人」
だとか、
「他人の過ちに対して寛容である人」
だとか、

「自分の言葉を持っているが客観的であり、
かつ、主観を常に洗練し、磨き続けてゆける人」

 

 

だと思っていました。
そう思っていたからこそ、
大学にも行こうと思ったし、
必要な学びを都度受けてきたつもりでした。
そして、それは間違いではなかったとも思っています。

 

 

ですが、グリーフケアを学ぶうちに、
また今回自分自身が当事者となり
大きな悲嘆を経験する中で、
それらのことはあくまで二の次で、
ベースにこれがなかったら
それらすべて意味がないのではないか?
そう思える在り方に気づかされたのです。

 

それは、

 

「自分の無力感に留まれる力」

 

でした。

 

 

グリーフ(悲嘆)の状態と言うのは、
愛する人との死別や自身の病を筆頭に、


「もうどうしたって、どうにもならないこと」
「取り返しがきかないこと」

 

である場合がほとんどです。

 

「じゃあ、それを解決するために~~してみましょう!」

 


と言う直接の方法論を
援助者は立てることができません。

 

例えば、


「死んだ夫ともう一度話がしたい!」


と言う嘆きに対して、


「では、生前使っていた旦那さんの携帯に
電話をしてみましょう!」


とはならない。



代わりに、いつ終わりが見えるのか分からない、
出口のない悲嘆を前にして、
援助者はただじっと
嘆きを抱えた人と
共に在り続けることになります。
 

 

「自分はこの人に対して、何も出来ることがない」

 

 

その時、援助者が味わうことになるのは
途方もない自分の「無力感」です。

 

 


 

 

『死別の悲しみに向き合う』
~グリーフケアとは何か~

 

 

の著者、坂口幸弘氏は、
著書の中でこの”無力感”について
ナースカウンセラーの広瀬寛子さんの言葉を引き、
このような見解を述べています。

 

 

苦しんでいる人のもとに行くのはつらい。
自分の無力さを思い知らされる。
しかし、その人の苦しみを前に、
無力な自分に苦しみながらそばに居続けることこそがケアだ。
何かをしてあげないとプラスにならないのではない。
「いる」ということはゼロではない。
言葉がなくても、ただそばにいて、
ともに悲しむだけでもときに遺族の救いになる。
そばにいるということは、一見すると
簡単なように思われるかもしれないが、
ときになにかをすること以上にエネルギーが必要である。
私たちは、ついなにかをしなければという焦燥感にかられがちだが、
そばにいることの価値を見なおしてもよいのではないだろうか。

 

 

 

 

そう・・・援助者であれば誰だって
出来ることなら、
自分と関わったクライエントが、
こちらのアドバイスや提案を受けて
みるみる短期間で元気になったり、
驚くほどの精神的な成長を遂げたり、
前向きに変化した方が嬉しいし、
仕事における”自己効力感”だって
味わうことも出来るはずです。
”やりがい”だって感じられるかも知れません。

 

 

けれど、ひょっとすると
その時味わっている”やりがい”こそが
援助職の人間にとっては
最も甘く危険なトラップなのではないか?
そう思ったのです。

 

何故なら、”無力感”にしっかり留まれなくなった時こそがクライエントと向き合えず、言葉を聴けておらず、最も乖離している可能性があるからです。

 

 

「自分に与えられたこの力で人を救おう」
「この仕事はわたしの天職だ」

 

 

と”やりがい”と言う自己効力感で震える時、
すでに何かが狂い始めているのかも知れない・・・

 


考えてみるとわたしは、
これまで何度もこのトラップに
ハマって来たような気がします。

 

自分の”無力感”に留まれず、
逃げた先で得られた”自己効力感”が、
高く、高く、自分を偽りの頂に押し上げ、
そして堕ちるを繰り返す・・・。

 

 

そのことに気づけたのは、
わたしの”無力感”と共に、
ただ「居て」くれた方たちのお陰でした。

当の自分だって、
今すぐ逃げ出したいこの現状に、
じっと共に「居て」くれた方たちが
その”在り方”を通して教えてくれたのです。

 

 

何かを「する」ことも、
段階的にはもちろん大事です。
けれど、ことグリーフケアにおいては、
同じ無力感に共にとどまろうとする
援助者が内包する本物の強さに
勝るものはないのではないでしょうか?




このことはわたしにとって、
今後、ぜったいに忘れられない気づきとなりました。

 


いつか、自分がグリーフの現場で、
援助者となって働くとき、
どうしようもない”無力感”の中に
悲嘆を抱えた方たちと共に留まれる自分で在れるよう、
いま、どんなにつらくても、
この経験を精一杯受け止めてゆきたいと思っています。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき