わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

ベルが天国へと旅立ちました

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12月4日、朝。
14年と言う歳月を共に過ごした愛犬ベルが
天国へと旅立ってゆきました。

 

11月30日にモルヒネシールが
始まってしばらくすると
意識が朦朧としているのか
後ろ足がおぼつかなくなり、
日がな寝ているようになりました。

 

それでも辛うじて、
お水と僅かな食べ物を
口にはできていたのですが、
3日の朝からはおしっこもしなくなり、
水も自力では飲めなくなりました。

 

3日夜、それまでには見せたことがない
苦しい息遣いと
険しい表情をするようになりました。


「その時が近いのかも知れない」

 

と、覚悟をしました。

 

明けて4日、息も絶え絶えな状況の中、
一生懸命に顔を上げて
まるでお別れを告げるように
私たちを見ようとするベルに、


「ベルちゃん、頑張ったね。
本当に頑張ったね。ありがとうね。
もう、頑張らなくていいんだよ。
ありがとう。本当にありがとう。
大好きだよ。愛してるよ。」

 

そう何度も声をかけ、
夫が注射器で水を口に含ませました。
その後すぐ、大きな黒目を見開いたまま、
あまりにも呆気ないほどに
ベルは息を引き取りました。

 

 

一瞬、何が起きたのか分からずに、
ベルの名前を大声で連呼しました。
もうこれ以上
どうにもならないのだと分かった時、
気づけば自分の身体が
木っ端微塵になりそうなほどの
唸り声で絶叫していました。
 

 

もう決めていたお寺に夫が連絡を入れると
その日の内に葬儀が決まりました。
そこからは、誰かの書いた小説の中の
登場人物になってしまったかのように
すべての場面へと
ただ淡々と運ばれてゆきました。


火葬の間も、
お葬式の間も、
お坊さんの読経の間も、
お葬式からお骨を抱いて
戻ってきた後も、
時間の感覚があまりなく、
まるで異次元ポケットに
落ちてしまったかのようでした。

 


ベルを失った悲しみと、
ベルがもう苦しまなくてもいいと言う安堵感と、
ベルの居ない底知れない寂しさが、
奇妙に拮抗し、感情は荒波立っていると言うよりは
むしろ不気味に凪いだ沼のような心地でした。
今思えば、それは無感情だったのではなく、
完全に自分のキャパを超えきった
過感情状態だったのかなと思います。

 

お葬式から帰ってすぐ、
もう居ないベルの名前を呼びながら
家じゅうベルを探しました。
探さずにはいられませんでした。
 


骨壺を撫で、抱きしめ、
話しかけ、
実はこれは何もかもが夢で、
しばらくしたら、
この中からベルが生まれ戻ってくるに違いないと
その場から離れられませんでした。

  

夫に、「ねえ、ベルはどこにいったの?」と
答えてくれるまで訊き続けました。

 
部屋では足元にばかり目がゆき、
 絨毯に残っているベルの匂いを
犬のように探しました。

 

 

2か月間まともに眠っていなかったため、
身体はクタクタのはずなのに、
頭は妙に冴えていて眠れず、
夫と毎晩、大量に酒を飲み
意識酩酊状態でベッドに入り
ようやく横になれる日々が続きました。



そして二人とも
ようやく眠れたと思えたのが
週が変わった昨日の朝のこと。

 

 

不意に、気持ちが「すん」と
静かになったような気がしました。

 

 

そしてふと思いました。

 

 

「あ、生きなくちゃ」って。
「また一から、生きよう」って。

 

 

まだ、1日の中で
淋しい気持ち、悲しい気持ちが
湧き上がっては鎮まり、
また湧き上がっては鎮まりするけれど、
これを繰り返して、
月日を重ねてゆくしかないのでしょう。
少しずつ、前に進んでゆくことしか・・・

 

ベルの件ではたくさんの方に、
お悔やみのメッセージや
励ましの言葉をいただきました。
本当にありがとうございました。
 
 
今回のことでは、
人に本当の意味で
寄り添うとはどういうことか、
絶望や悲しみに沈む人を
サポートするとは?と言うことを
当事者として深く考えさせられたし、
内省の機会や
たくさんのことを学ぶことができました。

これは、今後、また折に触れて
書いてゆけたらと思っています。




きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき