わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

ペットロスについて思うこと③

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朝からだるそうに横になってばかりですが、
きょうもベルと共に1日をスタートさせることが
できています。感謝です。

 

愛するコンパニオンアニマル(伴侶動物)の喪失による
ペットロスや介護の悩みを持つ人が直面することの一つに
ペットに対する人それぞれの「温度差」の問題があります。

 

例えば先日こんなことがありました。
某士業で複業をしている夫は、
年に数回、資格更新の為に
参加を義務付けられている
”研修”があるのですが、
その時の参加者の中に、
「犬が死んだので研修を欠席します」
と理由を告げて休んだ方がいたそうです。
それを聞いた夫は、
「さもありなん」と思ったそうですが、
一緒にその場に居た周囲の方の中には、
「犬が死んだくらいで必須の研修休むか?」
「亡くなったのが家族とかなら分かるけど、犬だぞ?」
と首をひねっていた方たちがいたそうです。
それに対して夫は敢えて何も言わなかったそうですが、
「年に数回の必須の研修だし、せめて
親戚の不幸で・・・とか嘘をつくこともできたのになあ・・」
と帰宅後わたしに漏らしました。

 

そう、動物を飼っていない人と、もっと精確に言えば、
動物を家族同然に思っている人とそれ以外の人との間には
「動物の不幸」に対する
とてつもなく大きな”認知の差”があると考えられるのです。

 

こんな風に書いているわたし自身、
ベルを飼うまでは、動物と人間との間に
これほどの深くて強い「絆」が築かれるなど
想像もできませんでしたので、
「人間ならまだしも、犬でしょ?」
と言う思考をされる方の気持ちが
分からないわけではありません。
これはある意味仕方がないことだとも思います。

 

 

でも・・・
愛する動物が今にもこの世から
去ろうとしている当事者にとっては、
「人間ならまだしも・・・」
「また別の動物を飼えばいいじゃない?」
「動物はいつかは死ぬものだし」
と言う百も承知の正論は、分かっていてもつらい。
できれば、聞きたくないのです。

 

中でも、

「動物はいつかは死ぬものだよ」

と言う言葉の破壊力は、相当なもので、
頭の中では分かってはいても、
その言葉を聴いた瞬間に、
それを口にした人の言葉が
それ以降、一切入って来なくなるのですね。

とは言え友人であれば、
いつかは「関係の恒常性」の力で
「あの時は、わたしの自責感を
軽くするために
そう言ってくれていたんだ」
と思いなおすことも出来るのでしょうが、
これが心理カウンセラーやセラピストであった場合は、
恐らく二度と彼らに心を開くことはないのではないか?と
思ったのでした。これは自戒を込めて。
胸に刻みます。

 

 

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