わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

カウンセリングの見立ての学びへ

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今年度の単位履修のゴールがどうにか見えてきたので、
(不合格レポートの再提出の可能性は多分にあるけれど)
今週から、今月末に受講する「見立て」のセミナーの
予習を始めています。

 

「見立て」と言うのは、
クライエントの悩み・不適応の本質は何かを
社会との関係の中で見極め、分類すること・・
言わば(最近流行りの表現を借りるならば)
カウンセリングの”一丁目一番地”に当たる
大切なはじめの一歩です。


私が「見立て」の重要さを思い知ったのは、
私自身がクライエントとなった経験からなのですが、
ここを見誤ると、本当に、どうしようもなく、
絶望的に、悲劇的に、人生の立て直しが遅れることになります。
逆に言うと、ここを間違えさえしなければ、
葛藤や劣等感や罪悪感で
クタクタに疲弊しきった心でも、
いつかは明るい希望を持つことが出来ると言うこと。

 

そのことを心底味わってしまうと、
ちょっと専門書を聞きかじっただけの知識で
カウンセリングの真似事をするなど
他殺行為に等しいとさえ思えてきてしまいます。
今までは”たまたま”運が良かっただけ。
学べば学ぶほど、
心を扱うことの本当の怖さを思い知ります。

 

 

9月末の講座で使用するテキストの他、
新年から開校する通年講座のテキスト2冊も同時に購入し、
一通り読み終えて思いました。
今年大学の講義で学んだ内容と言うのは、
臨床で「見立て」を行うための
”基礎知識”に過ぎなかったんだな、と。

 

 

喩えるなら、デジタル一眼レフに装備された
「ボタンの名称」とその「ボタンの機能」
だけを知った段階。

 

でも、あくまでも「機能」を知っただけなので、
撮影現場に行った時に、
そのボタンを「どのような時」に、
「どのように使うのか」はまだよく分からない
・・・と言った状態です。

 


その「どのように」「どんな時に」が
テキストには細かく書かれていて、
各心理学の領域から、
今年度ばらばらに詰め込まれた知識に
命が吹き込まれて動き出したような・・
統合されてゆくような・・
ひたすら知識を覚えるだけで
消化不良を起こしているのではないか?
ちゃんと学べているのだろうか?と、
否定的に見ていた自分自身を
「今は、これで十分なのだ」と
暫定肯定できるような、
読みながら、そんな感覚になりました。

 

 

そして、テキストの中に時々出てくる
既に現場で日々クライエントと向き合っている
ベテランの心理職の方たちの声が、
驚くほど謙虚で真摯で、頭が下がる想いがしました。

 

 

また、これは一番大きな収穫だったのですが、
自分自身の精神分析をしたときに、
今までどうしても矛盾を感じて
ブレイクスルー出来なかったポイントが
「あ、もしかして、そういうことだったのか?!」と
新しい可能性を見出せたことでした。

 

この視点で「原家族」を見直してみると、
より深い部分で葛藤が昇華されるのかも知れない・・
そんなささやかな希望も持てました。

 

 

テキストを読んだだけでも
これだけの発見と気づきを与えてもらえたのですから、
実際の講義ではより深い部分をより詳細に
みてゆくことになるのでしょう。

 

4月、来年度の大学の講義が始まるまでは、
現場で働く先生方の中に混じって、
その叡智を吸収させていただきながら、
しっかり粛々と学ばせていただこうと思っています。