地元の図書館から”予約した本が整いました”との連絡があり、
束の間、雨が止んだタイミングを見計らって、
いそいそと受け取りにいってきました。
借りた本の中の1冊ー
「ポリヴェーガル理論」を読む
津田真人著
私が、SE™療法に出会うきっかけになった本です。
(ちなみに、「ポリヴェーガル理論」を教えてくださったのは
前回のブログに登場したS先輩なのです。)
実は、この本を借りるのは2度目。
1度目は今年の1月。
手にとって、読み始めてはみたは良いけれど、
あまりの難解さにまったく歯が立たず、
100ページも読めずに挫折したのでした。
こちら側は、「ねえ、ねえ、教えて、教えて!」
と、若干”前のめり”になっているのに対して、
本の方は、「やれやれ・・・」と言った具合のすまし顔で、
相手にもしてくれない切ない感じ。
それが、私とこの本との最初の出逢いでした。
「いつか、もう一度この本に挑戦したい!」
ずっとそう思い続けてきたのですが、
あれから半年が経ち、
ある程度”生理心理学”の基礎用語が頭の中に入った今、
再び読んでみることにしたのです。
「良書」の基準と言うのは、人によって十人十色だと思います。
少し前までの私にとっての「良書」の基準とは、
その時自分が欲している知識や、抱いている疑問に、
もれなく応えてくれる本でした。
簡単にいうと、
本にどれだけ満足させてもらえたか、
空腹をどれだけ”お腹いっぱい”にさせてもらえたかが
基準だったような気がします。
ですが、「学び」の日々にどっぷりと身をおく内に、
いつしか良書の基準は、
どれだけ「挑ませてくれるのか」へと変わっていきました。
例えば、その本に書かれてあることを理解するために、
前段階の基礎となる知識を、より平易な別の本で学んだり、
文章を読解するために、単語の意味を調べてみたりと、
本に「語りかけてもらう資格」を
先ず、積極的に身に着けようと強く思わせてくれる本。
そんな本こそが、本物の「良書」なのではないかと
思うようになったのです。
パラパラとめくってみると、
相変わらずの難解さに変わりはないけれど、
目に飛び込んでくる単語ひとつひとつが、
前回より圧倒的に馴染みがあることに、
おや?これは・・・!と、かすかな手ごたえを感じます。
「今度はギブアップせずに、どこまで読めるかな?」
手探りで、良書の樹海をたったひとり、じりじりと進んでいく。
仮に迷子になってギブアップしたとしても、大丈夫。
またそこから「挑め」ばいいのだから。