わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

句友さんが送ってくれた小冊子

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 先日、昨年の夏以降、それまで日常の中で、心の拠り所、(少なくとも)安らぎ(だと感じられていた)だった句作が、どうにも上手くいかなくて・・と、句友さんに打ち明けたところ、「私が通っている短歌の講座のテキストなのだけど・・・」と、小冊子を1冊送ってくれました(いつもここぞって時に助けてくれるAさん、本当にありがとう)。

 

 その中の第3章”短歌がつくれないとき”という箇所に、真っ暗闇の中で見つけた一筋の灯のような文章を見つけたので、少しだけ引用してご紹介したいと思います。

 

歌人 黒木美千代さん

 

 

 「短歌を作る」ということは、どんなに日常的な歌を作っていると見えても、非日常の行為です。私たちは毎日日常的な暮らしの時間を積み重ねながら、歌を作るひとときには、日常と違った時空に飛躍しているのです。そのとき、私たちは生活する「私」を短歌を作る「私」に押し上げて、歌を作っています。スランプとは、この跳躍がうまくゆかなくなったときでしょう。生活上のわずらいが「私」を覆い尽くしているのかもしれません。

 

 

 この部分を読んだ時、何か胸につかえていたものが、すっと通ったような気がしたのです。

 

特に、一行目の

 

「短歌を作る」ということは、どんなに日常的な歌を作っていると見えても、非日常の行為です。

 

この部分。「短歌」のところを「俳句」に置き換えてみる。

 

俳句を始めて3年目。いつしか自分の中に、「俳句を詠む」という行為は「日常」であらねばならない、その在り方こそが「俳句を嗜む道」である・・みたいな気負いが生まれていたことに気づかされました。

 

いやいや、「非日常」の行為ですよ!とベテランの黒木さんに言われて、なんだか目が覚めたというか、私ったら自分をおよそ身の丈に合わない理想の鋳型にはめよう、はめようとしてきたのかもしれないと思いました。そもそも、俳句を詠むと言う行為が「非日常」だったから、楽しかったのに、です。

 

また、

 

私たちは生活する「私」を短歌を作る「私」に押し上げて、歌を作っています。スランプとは、この跳躍がうまくゆかなくなったときでしょう。生活上のわずらいが「私」を覆い尽くしているのかもしれません。

 

この部分。

 

生活上のわずらいが「私」を覆い尽くしている

 

 

には、心当たりがあります。
昨年の夏以降の家族の病気、引っ越し、手術、入院、秋からの新しく始まった仕事で、「日常のわたし」は覆い尽くされていました。
「生活する私」には自分を「俳句を詠む私」に押し上げる体力が、残っていなかったのでしょう。歳時記を読む、優れた俳人の句を味わう、散歩する、人と会う・・など、自分なりのインパクト(俳句の種)は多かったのに、それを着床させるだけの基礎体力がすっからかんだった・・というわけです。

 

 

それなりの努力をしているにも関わらず、それが実っている気がしない、それゆえのスランプと言うのは、原因を探すとドツボにハマっていきますが、まさにそれをやっていました。やり続けていたと言ってもいい。(笑)

 

 

生活上のわずらいが「私」を覆い尽くしている

 

 

残念ながら、この状態は今年も続きそうですが、この部分への耐久力が回復してきたら、また詠めるようになるのかも知れません。

 

 

それまでは焦らず、これまで同様に、俳句を「非日常」の楽しみの縁として大切にしていきたいと思いました。俳句人生、この先、まだまだ長いですからね。^^

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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遅れて来た入選内定通知

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 先日、こんな記事を書きました。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

 で、そうしたら昨日の夕方のこと。なんと入選内定通知が届いたではありませんか!
 



 市内に住むお友達のところに通知が届いたのは先週の木曜日。翌、金曜日に封書が届かなかった段階で、「ひょっとしたら私のところには翌日届くのでは?」という一縷の望みが絶たれたため、記事にも書いた通り、ひとしきり落ち込んだ後は、内省し、すっかり気持ちを切り替えた昨日、この内定通知が届いたわけです。^^;

 

 何だろう・・・・。なんか・・・・。喩えると、長いこと片思いをしていた相手がいたけど、諦めて次の恋へ進もう♪と気持ちが切り替わった瞬間にその人から、「ずっと君のことが好きだったんだ!付き合って欲しい!」と告白された・・的な?そんな気持ちなのですよ、今。嬉しくないわけじゃない、でも、なんか、手放しに「やったー!」って達成感もない・・みたいな。

 

 

 この一件で思ったのは、2度目の大学生活で学んだ仏教の”執着(しゅうじゃく)”、それから、四苦八苦の中の、”求不得苦(ぐふとくく)”の学びについて。

 

 

どちらも、「求めても得られない苦しみ」で、”求める”を手放すことが、悟りへの道だと言われているのですが、実際これは、なかなか難しいことだと思います。

 

 

 よく「絶望した!」と言って嘆くことはありますが、たぶん、(それを得る資格が自分にはあったはずなのに!と)嘆ける時点で、これは「絶望」ではなくて、まだ「執着」の段階なのかな?と思いました。「執着」の段階で、もし、通知を貰っていたとしたら、きっともっと手放しで喜んでいたのかも知れません。

 

 

 ただ、この通知が届くまでの3日間があったおかげで、自分の作句のプロセスを見直せましたし、改めて歳時記をもっと読みこむ必要性を感じたことや、基礎に立ち返る大切さを再確認できたのは、良かったと思っています。リセットできた・・って感じかな。

 

 周囲への観察眼をより研ぎ澄ませていくために、しなくてはいけないことも見えて来ています。実はこれは写真についても共通して言えることで、被写体への視点のベクトルが大きく変わる予感もあったりしています。

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

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「それは必然だった」とか言っていいのは本人だけ

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 よく今現在の自分の視点から、過去のある困難な時期を振り返って、

 

「あの時のあの出来事は、どうあれ自分にとっては必然だった」

 

と思うことってあります。

 

つまり、

 

あの日、あの時の、あの出来事があったからこそ、
今の自分がこうして在るのだな

 

と、少なくとも感謝を持って思える時に、このセリフは初めて意味を持つような気がしています。

 

 

そう、あくまで、「今の自分」が「過去の自分」に対してという時間軸です。

 

 

でも、この言葉を、時々今まさに、リアルタイムで「困難の渦中に居る人」に対して、まったく事情をよく知らない第三者から聞くことがあったりして、そういう時、ほんと嫌だな、忌々しい人だなと思います(声には出しませんけどね。あ、この人とは長いお付き合いは出来ないなと、こっそりきっぱり線を引くだけで)。

 

 

過去に起きた問題の解釈ができるのは、体験している本人だけだと思うのです。他人が必然だったとか、運命だったとか、ましてや、その出来事があったおかげだよね!なんて、口が裂けても言ってはいけません。

 

また今起きている誰かの問題に対しても、「神様気分」というか、「高みの見物」よろしく、「あ~あれってきっと、〇〇さんにとっては、ゆくゆくは、こういう意味を持つんじゃないかな?」とか意見を頼まれてもいないのに語り出す人も、いざって時に絶対に弱みを見せてはいけない人リストに載せて置くのがいいかなと思います。

 

 

問題は起きます。
間違った選択もね、します。人間ですからね。

 

 

後々になって、その人が「あの出来事があったからこそ、今こうして居られる」と打ち明けてくれた時には、ただ、「本当に頑張ったんだね!わたしも今大変だけど頑張る!」と言える自分で在りたいと思います。自戒をこめて。

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

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本日2歳になりました

左下だけ先代のベルです

 

 

 べるるん、本日2歳になりました。
犬との時間ってなんでこんなにも速いんだろうと思います。

 

先代のベルの時は、2歳といったらまだまだ無限に時間があると感じていました。

 

でも、14歳3か月で先代を見送った今は、一緒に居られる貴重な時間がもう2年も過ぎてしまったんだな・・と、心のどこかで”カウントダウン”している自分がいます。やっぱりまだ、先代のベルを喪なった痛みは残っていて、これは消えることはないんだろうなと思うのです。

 

 最近、ようやくベルのことを「可愛い」と思えるようになってきました。

 

もちろん、この子が可愛くないわけではなかったのですが、先代の子と、見た目はこんなにも似ているのに、あまりにも違う性格だとか、動きだとかに、どうしても比較してしまっていたのです。

 

「ベル(先代)はこんな時、こうしてたのにな~」
「ベル(先代)だったら、こんなことしなかったのにな~」

 

みたいな感じですね。

 

特に、未だに直らない噛み癖には正直困っているし、抱っこしようとしても、身体をなかなか預けてくれなかったりするのが、辛いです。名前を呼んで近づいていくと、素早く逃げるとか。

 

あまり構ってもらいたくない性格なんだと思いますが、私にべったりだった先代のベルを思うと、やっぱり寂しいんですよね。前の子との生活を思い出しては、塩対応の今のベルに、つい数ヶ月前まではがっかりしていました。

 

それが、年末~年明けくらいから、ベルの様子が少し変わってきました。時々ですが、わたしに「抱っこ」をおねだりするようになったのです。単に寒いから暖を取りたいだけかも知れませんが、抱くとしばらくじーっとしているようになったのです。これには本当に、嬉しかった。

 

 

調べてみると、犬にも飼い主との愛着を形成するのに時間がかかるタイプの子がいるようで、ベルはそのタイプだったのかも知れません。

 

人間の赤ちゃんと養育者との愛着形成のタイムリミットは2年と言われています。ベルはどうなんだろう?わたしはただただこの子が生きている限り、この家の中で安心・安全に暮らしてくれたらそれでいいです。

 

欲を言えば、もう少しだけ、穏やかに、仲良くできたらいいのですが。

 

ベル、お誕生日おめでとう。
これからも元気で健やかに育ってね。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

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中古のカメラを購入したら真っ先にすること

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 新しく迎えたsonyα7Ⅳに、物理的にも感覚的にもだいぶ馴染んできた今日この頃です。やっぱり、意図した色味に近い状態で撮って出しできるのって、すごく楽しいです。α7Ⅲの時には、ここにレタッチのプロセスが結構入っていたので。

 

 

 春の花の季節に向けて、カメラやレンズを新調する方がこれから増えてくる時期ですが、購入に際し、特に中古で”カメラボデイ”を買われる方へのアドバイスを今日は書きたいと思います。

 

 

 中古品は、(型落ちした品の場合は特にですが)新品よりもかなりコストが抑えられるため、日頃から利用されている方は多いと思います。では、選ぶ際に、あなたは何を重視していますか?「見た目の綺麗さ」と先ず思った方は、ちょっと注意!です。

 

 

 実は、カメラにはメーカー側で告知しているシャッター回数の寿命というものが存在しています。ちなみに私が購入したα7Ⅳは30万回と言われています。

 

 

 ここで、ちょっと考えてみてください!
(あまり現実的ではないけど)

 

めちゃめちゃ綺麗好きで丁寧な撮影が好きな人が前ユーザーであった場合、使用頻度は激高だけれど、撮影後に毎回プロの技術者なみの清掃を施していたとしたらどうでしょうか?そして、そのカメラを「美品」や「新同品」として、メル〇リ等に出品していたとしたら?!シャッター回数は既に25万回の場合、あと5万回しかその個体ではシャッターが切れないということなのです。

 

個人で中古カメラを販売している方だと、このあたりの知識が無い方も多く、「見た目が綺麗だから、ランクは美品でいっか♪」なんて出品をしている方も少なくないはず。^^;

 

では、このシャッター回数を調べるにはどうしたら良いのでしょうか?

 

 

お勧めなのがこちらのサイト「ショット数.com」です。

 

 

 

xn--xckyap6jx51z.com

 

 

撮影したレタッチ前の写真をアップするだけで、そのカメラ本体に記憶されているシャッター回数を教えてくれます。

 

 

ちなみに私もmapcameraさんで購入後、最初に撮影した1枚をこちらのサイトで調べてみました。

 

ショット数の結果

725回。

 

良かった!30万回には程遠い!
ぜんぜんまだまだいける!

 

と思ったのと同時に、
 
「君は、前のオーナーさんに殆ど使ってもらえないまま、売りに出されちゃったのねえ」

 

と、カメラの運命に想いを馳せてみたりなんかしました。^^;

 

 

良心的な中古販売店では、期間限定で返品サービスに応じてくださる場合が殆どです。なので、購入したらとにかく先ず、このシャッター回数を調べることをおススメします。メル〇リ等でご購入の際には、必ず出品者様に、「シャッター回数」をお尋ねくださいね。

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

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”悲しい”という感情をちゃんと受け止められていますか?

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 昨日は、我ながらがっかりすることがありました。

 夕方5時半ごろ、地元の句会でご一緒している句友さんからLINEが入りました。内容を確認すると、NHK全国俳句大会の予選内定通知が来たとのこと。

 そろそろかな~と思ってはいたけれど、去年は1月の末頃だったので、「え?今年は早い!」と思いつつ、自分も確認していなかった郵便受けを見に行きました。中には、だいぶ遅れて届いた、夫宛ての年賀ハガキが数枚入っていただけでした。「あ~、今年はダメだったかあ・・」と思わず肩を落としました。それと同時に、自分の顔の表情が、能面のように凍り付いていくのを感じました。

 

 その瞬間から約丸1日、24時間が経過した今、ここまでの自分をようやく冷静に俯瞰して観ることができているのですが、

 

「悲しい・・・」

 

この感情を受け止めるまでに、いや~、本当にかなり遠回りしたことを痛感しています。

 

 

例えば、

 

・投句料をドブに捨てたようなものだわ!


とか、

 

・だったら、そのお金でカメラ機材買った方がよっぽど効率的だった!

 

とか、

 

・一体、どの部分が取ってもらえない理由だったんだろう?入選した人と自分の句との違いってなに?

 

とか、

 

・むかついたから、今年はNHKホールになんて、ぜーったいに行ってなんかやるもんか!

 

とか、

 

・俳句なんてもうどうでもいいし!

 

とか・・・etcまだまだあるんだけど・・・(笑)

 

まあ、ここには書けないような醜いこともたくさん毒づいて、そう・・・ほぼほぼわたしは、怒っていたのだと思います。

 

 

で、今更ですけど、改めて再認識しました。

 

人間は、”悲しい”を感じたくないとき、”悲しい”から逃避したいとき、だいたい、

 

”怒り”ます!

 

 

何故、「怒る」のか・・というと、”悲しい”という感情をどう捉えているかに依拠します。

 

 

わたしの場合ですが、”悲しむ”という感情を、”惨めなもの”という風に、長年、脳内や自律神経が認識しているのでしょう。

 

自分の中で、悲しんでいるパーツ(副人格)が、”惨めさ”を感じないように、自分の中の別パーツ(副人格)が代わりに怒ってくれているのです。でもこれ、あくまで私の場合であって、人によっては、過剰に明るく振る舞うようになる・・なんて方もいるのかも?!

 

ですが、このパターンを繰り返していると、悲しんでいるパーツ(副人格)は、いつまで経っても、無視されたまま。主人格(セルフ)による感情の協働調整がなされません。よって、ますます

 

”悲しい”=”惨めなこと”

 

という方程式を強めてしまうことになります。強めてしまうと、その悲しみから感情を逸らすために、それ以上の力が必要になりますから、「怒る」パーツをもっと強めていくことに・・・・。

 

 

約24時間、あーでもない、こーでもない、と怒っていたわたしですが、ようやく今、

 

「悲しいなあ・・・。昨年後半の感情のスランプの中、どうにか頑張ったのになあ・・」

 

と、現実を受け止められるようになって、このブログを書いています。

 

 

”悲しい”って、しんどいものです。
特に、幼少期から”悲しい”とか”悔しい”にちゃんと寄り添ってもらえてこなかった愛着の傷を持っている方は、ヘルシーな愛着の方に比べると、扱うのが難しい感情であると思います。

そもそも”悲しい”を感じてしまったら、生きてこられなかったわけですから当たり前だとも思います。感じてしまった瞬間、自律神経的には「命の危険」なわけですしね。^^;

 


”悲しい”はそれがあなたにとって、大切である証拠です。
大切なものが、自分にはあるということ。
そしてそれは、誰にも侵せないし、奪われない。
”悲しい”って、思えるって素敵なこと。
自分にとっての大切なものを教えてくれてありがとう。

 

 

そんな風に”悲しい”と思っているパーツ(副人格)に話かけていたら、”怒っていた”パーツからは、ふっと力が抜けて、そのことを考えると能面みたいになっていた顔の表情が、動かしやすくなった気がしています。

 

 

 

普段、クライエント様の感情を聴くカウンセラーにだって、悲しみも、怒りも、悔しさも、日々忙しく通り過ぎていきます。
ですが、リカバリーは、かなり早くなったかな?^^;(以前は、人間関係のことで、普通に2~3年は怒っていられたので。^^;)

 

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

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グレーな関係を大切にする

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 早朝に水たまりをよくよく見るとうっすら氷が張っていることがあります。これを歳時記では「薄氷(うすらい)」と呼び、春の季語として俳句に詠みます。

 

 

 

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上の記事の中で、

 

好きでも嫌いでもない”グレーな関り”の方が、この世の中には多いし、そっちの方がむしろ当たり前なのだと諦観できると、日常的な緊張が取れて、生きることがだいぶ楽になっていきます。

 

と書きました。

 

愛着の傷をお持ちの方は、この

"好きでも嫌いでもない”グレーな関り”

を苦手とする人が多いように思います。理由は簡単で、相手が敵か味方か分からないグレーな関係では、自分自身の安心、安全を感じられないからです。常に食うか、食われるかの臨戦態勢でいないといけない。自律神経系が揺さぶられて、圧倒されてしまう。故に、その関係に留まれなくて、関係を切ってしまうか、もしくは、相手に過剰に服従し、飼い馴らされることで、関わっている間の安心を得ようとしてしまうのです。

 

皮肉にも、世の中のヘルシーな関係は、グレーな関係の場合の方が多い。そのため、繋がっていても安心な人間関係ほど、自ら切ってしまう可能性が高いのですね。そして、利用されたり、搾取されたりする相手ほど、容易に身近に寄せてしまったりする。で、さらに傷つく。自分を変えなきゃと焦る。その地獄のような永遠なる繰り返し。

 

では、グレーな関係に安心して身を置くにはどうしたらいいのでしょうか?

 

恐らく愛着の傷を持つ方と言うのは、「見捨てられ不安」がベースにありますから、相手が無意識に自分に発する、

 

”関わる意欲の喪失”や
”関わろうとしなくなる気配”にものすごく敏感です。

 

「あ、自分から去って行こうとしている」
「あ、自分をないがしろにしたな」
「あ、自分を大切にしなくなっている」

 

そんなSOS信号が自律神経から発信されやすいんですね。だって、それは、自分にとっての生命の危機だから。身の危険が及ぶ前に、自分をどうにかして守らないといけない。これは身体に宿っている当然の知恵・権利・働きで、あなたが悪いわけでは決してありません。

 

でも、こんな状態になっているんだと自覚さえできれば、改善へと一歩踏み出せたも同然です!

 

もし、

 

「あ、自分から去って行こうとしている」
「あ、自分をないがしろにしたな」
「あ、自分を大切にしなくなっている」

 

という信号が立ち上がってきたとしても、

 

「グレーでいい!」

 

とだけ思ってみてください。

 

人間関係って不思議なもので、その時理由があって距離が出来てしまったとしても、グレーな関係であれば、再び白にも黒にもなるものです。もちろん、そのままグレーである場合もありますが。

 

「グレーでいい!」

 

を続けていると、危険を知らせる自律神経の信号が、少しずつマイルドになっていきます。なぜなら、極端に働く必要性が少なくなるから。そうすると、何となく、ほんわりと、人の輪の中にいられる自分へと変わっていき、その中から、ヘルシーな境界線を持った人間関係が、ゆっくりと育っていきます。

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

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オンラインで受講可能です。

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昨年末、実はわたしもカメラを見直しました

Sonyα7iv with Sony135㎜ f1.8 GM

 

 

 

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 前回の記事で、今使っているカメラを見直すタイミングについて書いたのですが、実はわたし自身も昨年末に使用していたカメラ(sony α7Ⅲ)を見直し、暮れも押し迫る29日ギリギリで、カメラを買い替えてしまいました。ちなみに、購入したのは同じくSonyのα7Ⅳ。そう、元々α7Ⅲを購入しようとした際に、かなり迷ったカメラです。

 

 

 買い替えに至った経緯ですが、とりわけ目立った不満が7Ⅲにあったというわけではありません。軽くて持ち運びも楽でしたし、瞳AFも速いし、イメージセンサーが持っているベースの色味も好みでした。操作性も、画面がチルト式なのも良かった。完成度が高くて、バランスの良いカメラだなあ・・と思っていました。

 

 

 では、どうして?と自分でも思うのですが、それは小さな違和感の積み重なりだったとしか言えません。「これはこれで、いいんだけど・・なんか、欲しい画とほんの少し、ほんの数ミリだけど、違うんだよなあ・・」、「Nikon機で撮っていた頃の写真の方がその部分は満たされてた気がするんだけど・・」という感じ。

 

 

 無謀にも、違和感の理由を確かめたい一心で購入し、実際に使ってみた時に、その違和感の正体が分かりました。

 

私は基本、撮って出しが好きで、よほどのことが無い限りは、Raw現像をあまり行わないのですが、α7Ⅲのクリエイティブスタイルには、「コントラスト、彩度、シャープネス」の3つしか選択肢がなく、しかも調整は5段階まで。この3つだけで調整されて吐き出された画には、私が大切にしている「淡さ」だとか「透明感」の表現をコントロールできる項目がなかったのです。そのため、写真の色味は「こってり、鮮やか」に寄ってしまう。

 

一方、以前使っていたNikonのD850や購入したα7Ⅳには、コントラスト、ハイライト、シャドウ、フェード、彩度、シャープネス、シャープネスレンジ、明瞭度を10段階で細かく調整できるため、撮って出しの段階である程度は完成した画作りができるのです。

 

(同じカメラを使っているのに、同じシャッタースピード、F値で撮ったのに、どうして〇〇さんみたいに撮れないんだろう?というお悩みの原因は、恐らくこの部分の調整が〇〇さん独自のものであるからだと思います。この部分は画作りの心臓部ですから、容易には明かさない方が殆どなのですよ。^^;)

 

シャドウとフェード、シャープネスレンジ部分を好みに調整して撮ってみると、そこには「あ~、そうそう、これだよね!これこれ!」という画が。(嬉^^)写っている「色味」そのものにではなく、影の立ち上がり方と境界の滲み具合に違和感を抱いていたことに気づいたのでした。

 

 

 Rawで後から現像編集をするのが当たり前だよ~という方には、あまり関係のないことかも知れませんが、やはり最終レタッチに近い状態で見られるって、撮っててテンションがあがるものです。現場だとスピードを求められることも多々ありますし、なるべくレタッチの負荷を軽くしたいといつも思っています。

 

 

 α7Ⅳは苦手なバリアングルカメラではありますが、まあ、もともと使用頻度はそう多くはないツールですし、これから工夫してやっていきたいと思っています。それ以上に違和感が解消したことが大収穫でした。

 

 

それと余談ですが、某情報筋から「2023年はカメラの中古市場は品薄と、高騰で荒れるよ!」と聞いていたので、良いタイミングで購入できたと思っています。既に同じランクの中古品で4~5万値上がりしていてびっくりです。

 

 

 

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今使っているカメラを見直すタイミングっていつ?

Sonyα7iv with Sony90㎜ Macro f2.8 G OSS

 

 今朝は七草粥を食べました。が、食べ終わってから写真を撮っていなかったことに気づきました!珍しく上手に炊けたと思ったのに。^^;

 

 さて、カメラの祭典CP+が近づいているせいか、このところメーカー各社の新商品のリリース情報が乱れ飛んでいますよね。もう、楽しくて仕方がありません!^^あなたが最も注目しているカメラ、レンズは何でしょうか?ちなみに私はというと、カメラに・・と言うよりは、レンズでしょうか。実は今までノーマークだった望遠レンズに、ちょっぴり興味が湧いているのです。後、めっちゃアナログなオールドレンズもいいなあ、なんて。

 

 これからのカメラに関しては、どうやらキーワードは「AI」になっていくのかなあ・・という気配がありますね。sonyから最近発売されたα7RⅤにも搭載されているようですが、カメラと「AI」ってこれからどんな風にシナジーしていくのかな~と、気になっています。

 

 ひょっとしたら、シャッターボタンを押さなくても撮れちゃうカメラとか、インスタで自分が気に入っている写真家さんのフィードを分析して、色味や雰囲気のテンプレートを作れちゃうソフトを作れちゃう機能を積んだカメラなんかも、近い将来発売されてしまうかもしれません。となると、写真と言うジャンルのアートの価値ってどうなっていくのかなあ・・とかね、いろいろ考えてしまうわけです。

 

 これはカメラが「機械」である以上は仕方がないことなのですが、そうなった時、メカ以外の部分で、絶対に”真似できない”自分の心眼レンズのスキルを磨く必要が出てくると思うのですが、そこに対応できるようなフォトレッスンを今年も届けていきたいと思っています。

 

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 高額で高性能なカメラだから売れるとも言えない時代です。ライフスタイルにマッチしている、やりたいことができるカメラ、時代に受け入れられれているカメラが、今後も人気を博していくように思います。面白い時代に身を置いていることに感謝です。

 

 

 面白いカメラが次々発売されてしまい、お財布が追いついてゆけないのが正直なところですが、カメラの買い替えを考えている初心者の方に、私なりのおすすめの買い替え検討のベストタイミングをお話します。

 

 

 それはズバリ、3本目のレンズを購入するタイミング
そして、フルサイズのカメラに変えたくなったタイミングです!(特にAPS-Cユーザーの方)

 

 

 恐らく最初は、手ごろな焦点距離(35-60mmくらい)のズームレンズが付属したセットでカメラを購入されている方が多いのではないかと思います。そして、そのズームレンズでは物足りず、もう少し望遠よりのレンズ(200-300mm)を購入・・と言う流れを辿る方が多いです。で、ある程度ズームレンズの画に満足した方が次に向かう先はと言うと・・・マクロor明るい単焦点レンズではないかと思います。ズームレンズではなかなか表現できない「ボケ感」を求め始めると、必然的にこの流れとなります。そしてネット等で検索し始めて、先ず思うのは、「どうしてこんなに値段が高いの?!」ということ。そう、ズームレンズのコスパを思うと、単焦点レンズって、泣きたくなるほど高いのです。^^;ですが、一度使っちゃうとね・・描き出された世界の美しさに、どうしてもっと早く使わなかったんだろう・・て思っちゃうのが、このレンズなのです。

 

 さらに言えば、APS-Cサイズのカメラを使っていた人は、同時にフルサイズのセンサーへの憧れも増して来る頃です。フルサイズの良さは、圧倒的な暗所への強さです。同じレンズを使っているのに、フルサイズカメラで撮影すると、こんなにも明るさが違うものなのか!と感動するはずです。またフルサイズ機の良さは、プロも使うことを想定して設計されていますので、”かゆいところに手が届く”機能がいっぱい!いちいちメニューから入らないと変更できなかったホワイトバランスやフォーカスエリアが、外付けのボタンで一瞬で変更できたりするので、シャッターチャンスをみすみす逃さなくなります。

 

 また、3本目のレンズを購入した後だと、メーカー(レンズマウント)の変更は、どうしても腰が重くなってしまいます。変な話、2本目までなら、気持ちに思い切りもつくというもの。カメラ本体とレンズ2本を下取りに出して、新しいカメラとレンズの購入資金に充てるという選択もありなのです。

 

 

 まとめると・・・

 

・3本目のレンズを購入するタイミング
・フルサイズのカメラに変えたくなったタイミング
・自分が撮影でしたいと思ったことに、カメラが追い付いてくれないと感じたとき

 

が、カメラの買い替えのベストタイミングです。

 

 

あなたが素敵な相棒と出逢えることを祈っています。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

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人から大切にされるって?

Sonyα7iv with Sony135㎜ f1.8 GM

 

 明けましておめでとうございます^^
今年もどうぞ宜しくお願いします。

 

 今日は昨年末に、あることをきっかけにずっと思いめぐらしていたことについて書いてみようと思います。

 

それは、

 

人から大切にされるってどういうこと?

 

というテーマについてです。

 

例えば、こんなことってないでしょうか?

 

2人の人(Aさん、Bさん)にとって、共通の上司である(Cさん)が居たとします。

Aさんは、「Cさんは自分をとても大切にしてくれている」
と感じています。
一方、Bさんは「Cさんは自分を全然大切にしてくれない」
と感じてる・・みたいなこと。

 


この”評価真っ二つ”案件が何故起きるかと言うと、いくつか理由が考えられますが、ひとつには、Cさん側の問題があります。実際にCさんが何らかの理由でBさんよりAさんの方をより好もしく思っている場合です。それがあからさまに態度に出てしまっているのだとしたら、それはAさん、Bさんのみならず、周囲の人にも認知されているはずです。

 

ところが全てが相手側の問題とは限らないのが、この「大切にされてる、されていない」問題にはあるように、私には思えるのです。

 

それが、「人から大切にされている」と感じる基準が、人それぞれ違うという点。

 

例えばAさんが「大切にされている」と感じている基準は、Cさんから仕事を正当に評価されている点かも知れません。一方Bさんが「大切にされていない」と感じる基準は、仕事は評価されていても、CさんがBさんの話にじっくり耳を傾けてくれないからかも知れません。このように、評価の土俵(基準)が違っていると、第三者から見たCさんへの印象が、時と場合で大きく変わります。

 

 

 Aさんは上司であるCさんに「話をじっくり聴いてもらいたい」という要求を持っていないので、Cさんとの会話中に多少雑に扱われたとしても気にしません。Cさんに「話を聴いてもらいたい」という欲求がそもそもないからです。その欲求は他で満たせているからかも知れません。
でも、Bさんにとっては、「話を聴いてもらえない」という状況は、自分の古傷が疼く体験なのです。仮にCさんがBさんの親だったとしたら、その要求は正当なものかも知れません。ですがCさんは職場の上司です。仕事に関する必要最低限の相談に乗る義務はありますが、話を聴いてBさんのパーソナリテイ云々を理解しなければならないといった責任はないのです。

 

 

 愛着の傷を持っている方は、人間関係の境界線が曖昧であることが特徴です。本来、親子間で解消していなければならない心の要求と葛藤が、一生を通じてすべての人間関係に持ち込まれてしまうからです。

 

 

自分が本当に大切にされたいと思っていたのは誰だろう?
自分が本当に理解されたいと願っていたのは誰だろう?

 

 

ここが本当の意味で腹落ちしてくると、人間関係にヘルシーな境界線が引けるようになっていきます。そして、好きでも嫌いでもない”グレーな関り”の方が、この世の中には多いし、そっちの方がむしろ当たり前なのだと諦観できると、日常的な緊張が取れて、生きることがだいぶ楽になっていきます。

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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