わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

恋する本棚

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 これまでに読んだ本を棚卸もかねて視覚化できたらな。そうたとえば、バーチャル本棚的なものがあったらいいのに・・・と、そのまま一昨日の晩「バーチャル本棚」とネットで検索したら、こんな場所が見つかりました。

 

 

booklog.jp

 

 

 かなり有名なサイトのようなので、こちらのアカウントをお持ちの方もいらっしゃるかも知れませんね。最初の内は、自分の”思考の歴史”を整理できたら面白いかも?くらいに思って気軽に登録作業をしていたのですが、100冊を超えた辺りから、何かこう、うっすらと、一定の「傾向」のようなものが見え隠れしてきてしまい、我ながら神妙な心持になったのでした。

 

「わたし、写真の仕事をしている割に、写真集とかまったく登録してないわ・・」

 

とか、

 

「料理の本が、一冊もないなあ・・・」

 

とか。

 

 

ここに登録できていない、読んだけれどすっかり忘れてしまっている本もかなりあるはずなのですが、意識上に思い出せると言うのはすなわち、今もリアルタイムで影響を受け続けているという自覚がある本たちなのでしょう。つまり、これが、わたし「さとうみゆき」を創っている成分(エッセンス)なのだと思われます。

 

 

 昔、「本棚をみれば、その人と成りが解る」と言った方がいました。自分の本棚は棚に上げて、わたしはサービスに登録している他の方の本棚を訪ね歩きました。これが実に興味深いのです。共通の本をお気に入りに登録しているから、他の本のジャンルも似ているのかな?と思い眺めてみると、その本以外はほとんどわたしが知らない本だったり。また、こんな作家居たっけ?と好奇心で訪れた本棚が、自分のそれと割と似通っていたり。とは言え、あちこち覗き見をして確信したのは、ひとつとして同じ本棚を持っている人がいないという真実でした。

 

 

 そんな中、「この方とゆっくりお話ししてみたいなあ・・」と慕わしいような懐かしいような思いが溢れてどうしようもない本棚を見つけました。詳細は書けませんが、登録された本の1冊、1冊に、その人が懸命に生きてきた軌跡を見つけたような気がしてたまらない気持ちになったのです。ひょっとしたら、これはある種”恋”に近い感覚なのかも知れません。本たちが年月を重ねて醸成してきているであろうその人の「在り様」に恋をしていると言ったら語弊があるのか・・・。だけど、この人に逢ってみたいなあ・・と思いました。実際のその人がわたしが想像しているこの人であるかどうかは、”神のみぞ知る”のでしょうけれど。

 

 

 わたしがバーチャル図書館で遊んでいた翌日、地元の市報の一面にこんな記事が掲載されていました。

 

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 それは市の図書館で電子図書館がオープンすると言う知らせでした。今の家を買う決め手となった条件のひとつが「図書館が近い」ことだったわたしにとって、昨年のコロナ禍で図書館が何度も閉館になってしまったことは本当に痛手でさみしいことでした。休館中も図書館の電子化を目指してこつこつ準備をしてくださっていたであろう図書館スタッフの方とシステム開発のエンジニアさんには頭が下がります。本当にありがとうございました。そして、こうなってくると、どうしても一言モノ申したくなるのが、大学図書館ですね。経済力がそこそこある社会人大学生はレポートに必要な書籍をやむを得ず購入すると言う選択肢もありますが、現役生にとっては書籍代はどれだけ大きな出費であったことか・・・。大学図書館が完全電子化されたのなら、使用できないのに「施設利用費」を支払う親御さんたちのやりきれない気持ちも少しは晴れるのでは?と思ってしまいました。わたしも今年は一度でいいから、大学図書館に入ってみたいものです。

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

気づけば8050問題のど真ん中に居た!

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 父の介護のため東京から実家に帰る帰らないの問題勃発以来疎遠になっていた妹と、思いがけないことがきっかけでまた連絡を取れるようになりました。一昨日の夕方、珍しく家の電話に妹からの着信があり、ずいぶんと慌てているので話を聴くと、どうやらアパートの鍵をどこかで失くしたか、落としたか、盗られたかで、家に入れないと言うのです。”もしも”の時用に、スペアキーを持っているわたしにそれを持ってきて欲しいとのこと。電車より車の方が早いからと夫が鍵を持って直ぐに現地に向かい、妹は無事に部屋に入ることができたのでした。

 

 

 今週の火曜、放射線治療を終え、隣市の日赤病院から再び地元の中堅病院へと転院した父ですが、当初あった痛みは嘘のようになくなり、今は目下、転移による圧迫骨折で負傷した脊髄の治療とリハビリに精を出す日々のようです。ただリハビリと言っても、実際に起き上がって身体を動かすには至っておらず、ベッドに寝たまま足を上げ下げしたり、感覚を取り戻すためのマッサージを受けているようです。医師の話では、時間はかかるけれど(期間は未定)歩けるようにはなるそうで、その際は5㎏以上の荷物は持てないとのことでした。車椅子生活を覚悟していた私たち家族にとっては、これはせめてもの希望になりました。今後は、一生を通してリハビリと薬、それからホルモン注射での治療がメインとのことです。

 

juntendo-urology.jp

 

 順天堂大学の前立腺がんのサイトを見ると、どうやらしばらくの間は薬物治療の効果は持続するようです。所謂、”寛解”と呼ばれる段階に入るのでしょう。ただ当然この時期にも終わりが来るはずなので、それまでの間に家族として出来る限りのことをしていきたいと思っています。

 

 

 それにしても、テレビドラマで観たり、心理士の先生たちが、いま現場で多数扱っていると聞いていた「8050問題」の渦中に、ある日気づいたら自分たち家族がすっぽりとハマっていたなんて・・・。地元での仕事が決まらぬまま無職で妹を実家に帰した場合、父と母は確かに助かるとは思うけれど、彼女の人生設計はいったいどうなってしまうのか。一方、わたしがいっとき夫と別居してでも実家に帰った方がよいのか?自分たちは大丈夫、ではないんだなあと、いざ現実になってみて改めて現状認識の甘さを思い知らされています。

 

 

 人間ひとりが命を生きて、生きて、生き抜いて、生き切って、人生の幕引きをするのって、なんて壮絶なんだろう。わたしは、どんな風に・・って、ついつい頭を過るけれど、いまは先ず、目の前のことから。そう言い聞かせています。

 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

蝋梅とプリンセスのドレス

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 午後、いつものコースを散歩していると、遠くの方から、「ベルの・・・ベル・・ベルの・・」と、亡くなった飼い犬の名前を連呼する声が聞こえるので、何かに誘われるままにそちらの方へ赴くと、そこには年のころ3,4歳と思しき女の子とお母さんが居りました。女の子は何やら空の方を指さしながら「ベルのドレス、ねえ、お母さん、ベルのドレスみたいー!」と嬉しそう。気になって女の子の視線の先を辿ると、そこには甘い洋菓子のような香りを放ちながら蝋梅の花が咲いていました。

 

 

 女の子が言う「ベル」とは、ベルが修飾している名詞「ドレス」から想像するに恐らくはデイズニーの『美女と野獣』に登場するあのプリンセス「ベル」のことでしょう。蝋梅を見て、ベルがまとっていた黄色いドレスを思い描けるだなんて、なんて豊かな感性を持っている子なんだろう!と、顔では素知らぬ通行人を静かに装いつつも、心の内では大地が揺れるほど拍手喝采のわたしでした。そして詠んだのがこの句です。

 

 

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蝋梅やベルのドレスと浮き立つ娘
(ろうばいやベルのドレスとうきたつこ)

 

 

 単なる通行人がスタンディングオベーションよろしく感動している傍らで、彼女のお母さんがどうしていたかというと、「え~?はいはい。ふ~ん、そうなんだ~。」と割と淡々としているように見えたのが、わたしには印象的でした。余計なお世話と知りながらも、「お嬢さん、とっても素敵な感性をお持ちですね!この視点は大人だって思いつかないですよ!感動しました!」とつい喉まで出かかったのですが、こんなご時世ですし、寸でのところで堪えました。

 

 

 ひょっとしたら、女の子には今回のようなことは日常茶飯事で、親御さんにしてみれば「ああ、また始まったか・・」程度のことだったのかも知れません。けれど、一方でこうも思いました。ピアノが上手、野球が上手、計算が早い、足が速い、と言った特技ではなく、目には見えず、数値化できないその子のたましいが内包しているような”天賦の才能”ほど、毎日一緒に暮らしている家族からは案外見過ごされがちなのかも知れないな、と。

 

 

 コロナ禍の中、就学前の幼児や児童と言うのは、共に暮らす家族以外の大人と触れ合う機会が以前に比べると格段に減ってしまいました。でもこれは子どもに限らず、私たち大人にも言えることで、リアルで繰り返される日常が、これまでにも増して短調になりがちなのです。「ああ、またか・・・」とふと思ってしまう出来事が起きたときには、少しだけ立ち止まって、そこに何か見過ごしてしまっていることはないかを考えるよう意識していきたいと思います。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

*さとう美雨の俳名で時々俳句を詠んでいます。
お稽古と覚書のサイトはこちらから・・・
 

miusato.com

 

 

量の読書からより質の読書へ

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 今年は読書の”質”を磨こうと思い立って入会した若松(若松英輔)ゼミですが、音声講座を既にいくつか受講しています。どの講座も、「どうしてもっと早く受けなかったんだろう!」という後悔と、この場にようやくたどり着けた歓びとで揉みくちゃにされ、学びの濃厚さも相まってなんだかめまいがしそうなほどです。

 

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 ところでゼミに入る前と後で、何が一番変わったかというと、”本とのめぐり合わせ”ではないかなと感じています。ゼミの講座で扱っている著書は、どれも若松さんご自身が人生において影響を受けられた本ばかりなのですが、そのどれもがわたし個人の力では到底出逢えていなかったであろう本だと思われるのです。

 

 

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 須賀敦子の『ユルスナールの靴』もそんな一冊でした。エッセイなのか?美術評論なのか?旅行記なのか?比較文化論なのか?小説なのか?こんなにもジャンルの境界線が不確かな本にかつて出会ったことがあったでしょうか。

 

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは、行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。

 

全体を通して旧漢字の使用頻度も多く時系列も複雑なため、途中で挫折する要素は其処かしこに転がっていたにも関わらず、そうはならなかったのは、最初の5行だけで須賀敦子の「筆の力」にたちまち魅せられて、最後のページまで運ばれてしまったからに他なりません。

 

 

 250ページほどの本であれば、いつもは丸2日もあれば読み終えることが出来ていました。ところがこの本は完読するのに気づけば2週間以上を要していました。読み終わるのがもったいなかったと言うのが理由のひとつ。そしてもうひとつは、本の中に描かれている国や、場所や、地形や、人物の名前、その人物が描いた絵画や生きた時代背景、初めて見聞きする言葉などを、逐次調べていたからでした。

 

 

 例えば、比喩としてイタリアの銅版画家ピラネージの作品『幻想の牢獄』が引かれているのですが、この作品自体を知らないことには、比喩の比喩さえとんと分からないことになってしまいます。
 

www.google.com

 

 

また、過去にアメリカに住んでいたにも関わらず、ユルスナールが晩年を過ごしたマウント・デザート島がどこにあるのかまるで知らなかったわたしは、今回何度も北米の地図を見返しました。

 

 

en.wikipedia.org

 

 

 別のある時には、”蝙蝠”と言う漢字が読めず、辞書を引いてみると「かわぼり」と読み、コウモリの古名であることに驚かされました。なぜ、コウモリとカナで書かなかったのか?須賀敦子にとっての「かわぼり」はどこまでいっても「かわぼり」として絶対的に存在していたのかもなあ・・などと思いめぐらせるのもひっそりと愉快でした。

 

 

 そんなこんなを繰り返し、1冊の本を読み終える頃には、書かれている内容以上に、本に対する自分の思索が深まっているのを感じ、なんだか心がひたひたと活字の恵に満たされたような豊かな心持ちとなったのでした。

 

 

 

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 若松さんがゼミの図書として推薦している本はどれも著書の人生を丸ごと「よむ」ことを自然と促すような本なのでしょう。いま、志村ふくみさんの『語りかける花』を読み始めていますが、この本もすぐに先へ進むのが惜しい本だと思い始めています。今回は講座と並行してリアルタイムで読んでいけそうなのでますます楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

眼鏡と個性と顔立ちと

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 「あれ?前よりもピントが合わせずらくなった?」きっかけは綻び始めたばかりの梅を撮影していた時でした。左1.5、右0.4と、もともと左右で視力にかなり差があるのは自覚していました。ですが利き目である左目でファインダーを覗いている分にはなんら問題なくピント合わせが出来ていたため、その日も裸眼で撮影に臨んでいたのです。ところが、昨年はスムースだった梅の細かい雄しべへのフォーカスがどうにも上手くいきません。ひょっとして視力が大幅に落ちているのかも知れない。そう思い、メガネ屋さんに行き、視力検査をしてみたところ、やはりビンゴ!しかも3年前より左右差が3段階も違うと言うではありませんか!

 

 

 

 メガネ屋さんとあれこれ相談し、これまで使用していたデスクワーク専用のメガネはそのままに、新たに「遠近両用メガネ」を作るのが良いのではないか?と言う話になりました。本音は出費を抑えるためにレンズ交換だけにしたかったのですが、「遠近両用メガネ」では視線の上下移動があるため、ある程度フレーム幅に”遊び”が必要とのことで新調することになったのでした。

 

 

 

 細々とした検査を終え、新たなレンズも決まり、それを仮フレームで試着した時はほんとうに驚きました!「ナニコレ、快適!・・・ものすご~く、楽ちん!」。それはあたかも左右の手で持っていた重たい荷物を、不意に「持ってあげるよ」と親切な通りがかりの人が全部引き受けてくれたかのような爽快な心地でした。

 

 

 メガネ屋さん曰く、「さとうさんの目は、遠くを左眼だけ、近くを右眼だけで見ているんです。これでは眼球に相当な負担がかかっているはずです。新しいメガネはそれを均等に分配してくれるので、楽に感じられると思いますよ」と。

 

 

 最後に新しいメガネのフレームを選ぶことになりました。自分で言うのもなんですが、一度見ても明日には忘れてしまえるくらい地味顔のわたし・・・。それゆえにフレームも顔立ちにマッチしたなるべく主張しない、オーソドックスでおとなしい目のデザインや形のものが希望でした。ところが、なぜかそう言ったタイプのフレームをいくつ試そうがことごとく似合わないのです。確か以前のメガネを購入した際も、同じような矛盾と葛藤を経て、結局購入したのは、アームに緑、紫、白の3色でグラデーションを差した個性的なメガネでした。

 

 

 なかなか決められないわたしを見かねたのか、女性の店員さんが一緒に見立ててくれることになりました。「実はわたし、顔が地味なので、なるべく目立たない、普通のメガネにしたいんです。でも、そう思うデザインがぜんぜん似合わなくて・・」そうつぶやいたわたしに返ってきた店員さんの答えは実に意外なものでした。「実は、似合うメガネって、顔立ちや、見た目、表面の雰囲気とはあまり関係ないんです。内面の個性とマッチしたフレームがその人に一番似合うメガネなんです。お客様の場合ですと、今、お手持ちのメガネもそうですが、むしろ個性的で人目を惹く、ユニークなメガネの方がお似合いなのではないでしょうか?」。

 

 

 それから決定までの時間は笑ってしまうくらい早かった。店員さんがトレーにのせて持ってきてくれる、自分では絶対に選ばなかったであろうユニークで主張の強いメガネを次々と試着し、不思議とそれらがどれも顔にしっくり馴染んでしまったので、最後は深い赤のフレームと、深いグリーンのフレームとで迷い、結局、深い赤の方を選び、引き渡し日を確認しお店を後にしたのでした。

 

 

 それにしても、内面の個性とマッチしたフレームがその人に一番似合うメガネって、
なかなか深いと思いませんか?そして、マッチしたフレームがその人の内面の個性をあぶりだすのだとしたら、かなり面白い。わたしの内面が、実際人目を惹くユニークなものであるのかは自分では測りかねますが、周囲の”メガネさん”たちをこっそり眺めて検証してみるのはアリ!ではないでしょうか?

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^

さとうみゆき

花を贈るということ

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 ちょうど1週間前のこと。高校来の親友から「苦手な香りありますか?」とメッセンジャーで尋ねられ、「強いていえば八角かな?」と返事をしました。2年前の誕生日にとても素敵なお香を贈ってくれた彼女なので、いろいろと気が滅入ることの多いわたしを案じて今度もお香を誂えてくれるのかな?と思っていたら、届いたのは思いのほか大きな段ボール箱。大仰なセロファンのラッピングを解くと、中から出てきたのは、春色の無数の風船が今にも青空へ飛び立ちそうな色合いのフラワーアレンジメントでした。

 

 

 思えば「花を贈る」と言うあまりにもありふれた嗜みが、わたしにとって”特別なセレモニー”へと変わったのは、ベルを亡くしたことがきっかけでした。葬儀を終えた後、ベルが居なくなった家に初めて一歩踏み入れた瞬間、ぽっかりと開いた「喪失」と言うブラックホールに吸い込まれ、わたしは足元からガクガクと崩れ落ちていきました。ベルはもう居ないと分かっているのに、部屋中を探し回り、それでも居ないと分かると、再び座り込んで泣きました。そんな時でした。ドアフォンが鳴ったので、よろよろと玄関へ向かい、扉を開けると、そこに佇んでいたのは長年お世話になったトリマーさんと優しい色味で埋め尽くされた大きな大きなフラワーアレンジメントでした。

 

 

 トリマーさんから頂いたその大きなブーケを、生前ベルと一番長く共に過ごしたリビングに飾りました。朝起きて部屋に入ると否応なしに視線が花へとすい寄せられます。フリージアとバラがアレンジされていたためか、空気の対流に乗って、ときどきよい香りもしていました。花たちは、ひと月間ほど、わたしを慰めてくれました。この花たちが傍に居てくれたおかげで、ベルの面影をやみくもに探す時間がほんの少しだけ減ったように思います。けれど、その「ほんの少し」にどれだけ救われたことでしょう。

 

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 今よりも若かりし頃は、「花を贈る」と言うのは、どちらかと言えば「恋愛」や「男女」の間に交わされるロマンチックな営みのように思っていました。でも、今は「花を贈る」というのは、大切な人の「命」や「人生」そのものに寄り添う「秘義」のように感じられるようになりました。

 

 

 生きている間に、あと何回、わたしは花を贈ったり、贈られたりするのかは分かりません。でも、そんな「秘義」を交わして行ける人とのつながりこそが、残りの人生の本当の豊かさなのだと確信しています。

 

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 そして見てくださる方たちへ「花を贈る」・・・
そんな想いで、これからも写真を撮っていけたらと思っています。

 

 

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Kさん、いつも本当にありがとう^^

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

事態は再び転ず

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昨年の夏から始めたこのブログですが、
改めて、数えるほどしか明るい話題を
書けていないなあと思いました。

 

しかも、内容は、「死」とか「グリーフ」とか
どんどん辛気臭くなってゆく。

きっと初めてここを訪れる方は、
「なんか重たい内容のブログだなあ~」と
踵を返してしまう人も
まあ、多いのだろうなあ・・と思っています。

 

で、今日はそんな中、史上最高に
辛気臭い内容を書くこととなります。

 

 

倒れた父の不具合の原因が
昨日判明したのです。
ガンでした。前立腺ガンでした。

 


倒れた際、下半身が麻痺していたことから、
ドクターが先ず疑ったのは「脳梗塞」でした。

 

けれど、脳のMRIを診ても、
脳内の血流は思いのほか綺麗で・・・

 

これは脳の問題ではないのでは?と思った
ドクターが次に疑ったのは、
脊髄の破裂骨折ではないか?とのことでした。


入院した病院では高度な外科手術が出来ないため
県内の日赤病院への転院をするように言われたのです。
これが入院から3日目の夕方。

 

この時、脳の状態が落ち着き、
リハビリをすれば下半身も回復するだろうと
思っていた家族全員が落胆しましたが、
最悪、手術の予後が悪く、車椅子生活になったとしても
生きてゆくための介護ならみんなで協力してやってゆこうと
腹をくくったのが土曜日の夜でした。

 

 

ところがです。
昨日、日曜日の夜のこと。
なんだか胸騒ぎがして母に電話をしてみると、


「いま、先生と電話で話が出来てね・・・
お父さん、ガンだって。」

 

「前立腺のガンが脊髄を圧迫して
下半身に麻痺が出ているみたい。
これから手術になるのか?
年齢的に他の治療方法になるのか・・
まだお父さんには告知してないんだって・・」

 

などと言い出すではありませんか。

 

 

話を聴いた瞬間に、
ベルの宣告を聞き、そこから死に至るまでの光景が
一気にフラッシュバックしたわたしは、
猛烈な腹痛と吐き気に襲われ、
母に「ごめん・・」と断ってから、
いったん電話をおき、
しばらくの間トイレで下痢と嘔吐を繰り返しました。
もう、わたしの中で、何かが振り切っていました。
このままもう、いっそ死んでもいいとさえ思いました。

 

身体の状態が落ち着き、
母に再び電話をかけなおし、
これからのことを話すのですが、
話になるわけがないのです。


なぜなら、
面会は出来ない、
移動もできない、
県外の人間は入室お断り、
県外の人間と接した人も2週間の面会お断り・・
の制約の中、もう何をどうしていいのか、
具体策は何ひとつ浮かびません。

けれど、これが今の地方医療の
リアルな現実なのです。
手術のための転院さえ、
一般病床が確保できていないために
通常なら推薦状さえあれば、
すぐに転院できるはずの
大学病院のベッドにも空がないのです。

 

 

最後には母は、

「お父さんは、こういう運命だったのよ・・
もう、いいわよ。もう、いいわよ。」

と言い出す始末。

 

 

これまでは、”生きるための介護”だった話し合いが、
一気に、”いかに看取るかの介護”に変わってしまったのです。

 

 

ガンが今どのステージなのか?
脊髄への転移が進んでいるのか?
より詳細な検査が必要になり、
父への告知はそれからになるようですが、
その告知さえ、たったひとりで聴くことになるであろう
父のことを思うともう不憫でなりません。

 


よもやこのまま再会が叶わずに
死に別れるようなことになったらどうしよう・・・と、
昨日はそのことばかりが頭の中を駈け巡り、
結局一睡もできませんでした。

 

 

こんなに短い期間に、
大切な存在が次々と・・・・

 


わたしの人生って一体何なんだろう?
そう思わずには居られません。

 


自分の頭と気持ちを
少しでも整理したくて・・・
ただ、それだけを頼みに書いてます。
書くことでわたし自身が
少しだけ自分の輪郭を
取り戻すことができるからです。


ずっとSNSで記事はシェアしてきましたが、
今日を最後にしばらく止めます。

 

 

これから益々このブログは
辛気臭くなってゆきますので、
お心が弱っている方、
フラッシュバックがおきる可能性がある方、
また、こう言った内容が苦手な方は
どうか御覧にならないようお願いします。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

やっと父と連絡がとれました!

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先ほど、母から電話があり、
やっと父と直接話が出来たとの連絡がありました。

 

今回も、たくさんの方に
不安な気持ちを支えていただきました。
本当に本当にありがとうございました。

 

これで少し冷静に今後のことを
考えられそうな気がします。

 

 

そもそもどうして直ぐに連絡がとれなかったの?と
母に尋ねたところ、
ことが起き、救急車を呼んだあと、
この後の入院を見越した母は、
大混乱の中、思いつく限り、
ありったけの入院に必要な品を、
紙袋に放り投げるようにして
詰め込んだそうなのです。
その中にはもちろん、
父の携帯電話もありました。

 

ところが・・・

 

そもそも普段母と一緒に
行動することが多かった父は、
携帯電話を日頃からほとんど使わない人でした。
当然、それは”スマホ”などと呼ばれる代物ではなく、
もはや10年以上は経っているだろうと思しき
お飾りと化した”ガラケー”です。


わたしと妹が帰省するたびに、
「お父さん、もしもの時に心配だから、
お願いだからスマホに変えよう!」と迫っても、
「そんなものは、いらない!」
と突っぱねるばかりで、
「次の帰省で必ず手続きするからね!」
と最終宣告したのが昨年の秋のことでした。

 

 

父のガラケーは、案の定、
充電がゼロの状態で病院に運ばれていました。
なおかつ、運が悪かったのには、
荷物を預かった看護師さんが
所持品を部屋の棚にそれなりに
仕舞ってくれたそうなのですが、
携帯電話の本体と、充電用のアダプタを
別々の場所に仕舞ってしまったことでした。
若い看護師さんだったそうですから、
それが携帯電話のアダプタだなんて
思いもよらなかったのでしょう。
身体が思うように自由にならない父は、
充電アダプタがどこにあるのか
自力で見つけられなかったようでした。

 

とは言え、それ以上に、
入院からの3日間、検査、検査で
父もかなり疲弊してしまい、
更には、オムツをあてがわれて、
この中でおしっこやうんちを
するように言われ、気持ちが沈み、
人と話す気力もすっかりなくなっていたそうです。

 

これは無理もないと思いました。
父はこの間まで排泄を自分で
当たり前に出来ていた人です。
しかも今だって幸い
意識ははっきりしているわけですから、
このことがどれだけ屈辱に感じられたことか・・・。

 

「お父さんがね、みゆき、手紙ありがとうって。
胸がいっぱいになったって、泣きながら言ってたよ。」

 

 

母からそう告げられた時、


「もうっ!そうでしょう?
あの傑作文を読んで
涙が出ない人の方がおかしいのよ!(笑)」

 

とおどけたわたしも、
本当は涙で声が震えていました。
ほっとしたのと・・・それから、
これまでずっと、
わたしを縛って来た何かが
ゆっくりほどけてゆくのを
感じたからでした。

 

 

 

手紙には、

「お父さんがいま、悲しいと感じていることは
わたしも悲しいよ」
「お父さんがいま、嫌だと思っていることは
わたしも嫌だと思ってるよ」
「お父さんがいま、悔しいことは、わたしも悔しいよ」


でも、そう思ってしまうことは、
それでいいんだからね。

 

と書きました。

 

 

考えてみたらこれらは、
わたしがずっと父に、両親に、
口に出して言って欲しい、
そう思ってきた言葉ばかりでした。

 

 

その言葉欲しさに、
両親から寄り添ってもらっている実感欲しさに、
これまでどれだけ心の勉強をしたり、
セラピーを受けたりしてきたか分からない。
その”枯渇感が埋まれば、
わたしは変われるのだと
躍起になっていたけれど・・・

 

 

欲しかった言葉を、
一番それを発して欲しかった相手に
自分から差し出せたとき、
まるで呪いの魔法を解く
最後のピースがハマったかのように、
わたしは自由になった気がしました。

 

そして、自由になったのは、
わたしだけではなく、
父も一緒だったように思うのです。
長い長い、”闘い”が、
ようやく終わった心地と言ったら、
大げさかもしれないけれど・・・。

 

 


父は月曜日から
リハビリがスタートするそうです。
脳のMRIを撮ったところ、
血流もきれいで、
回復の可能性も高いとのこと。
あとは父の生命力と
頑張りにかかっています。

 

まだ当分面会は出来ませんが、
わたしのできる形でのサポートを
続けてゆこうと思っています。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

わたしの人生はわたしに何を求めているのか?

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『夜と霧』の著者であるヴィクトール・フランクルは、

 



生きるとは、人生とは何かを問うことではなく、
人生からの問いに応えること

 

 

だと記しているのですが、今回ほど、

 

わたしの人生はわたしに一体
何を問うているの?!

 

と激しく自問自答したことはないと思います。

 

 

昨夜、妙な時間に実家の電話番号が
デイスプレイに表示されました。

 

どこか胸騒ぎを感じながら電話に出ると
それは母からでした。

 

 

「お父さんがね、倒れたの。
脳梗塞だって。
救急車で運ばれて入院することになったから。」

 

 

胸騒ぎがみごと的中したことによる
一瞬の万能感は、
たちまち不安と否認と恐怖に変わり、
気づけば母に、

 

「やだから!もう!やだ!もう!」

 

と叫んでいました。

 

 

「もう」は、「これ以上の悲嘆は、もう、無理」の
「もう」であることに違いなく、
けれど主語も目的語もないままに叫び散らすことが
その時のわたしには精一杯でした。

 


処置が早かったので、幸い一命は取り止め、
意識の混濁もないようですが、
倒れる直前、下半身に麻痺があったそうで、
今後、容態が落ち着き次第、
長期的な
リハビリが必要になるだろうとの
医師の見立てだそうです。

 

 

直ぐにでも飛んで帰りたいところですが、
コロナ禍での面会は一切許可されず
母でさえも院内への立ち入りは
ナース
ステーションまで。

ましてや、
東京在住のわたしは
病院からは最も招かれざる存在で、
どうにもこうにも
お手上げ状態となってしまいました。

 

 

  

そう言えば、
父と最後に話したのは
今年の元旦の朝でした。

定型な新年のあいさつをした後、

 

「ベルの写真を仏壇に飾って、
毎日拝んでるから。」
「ベルが居なくなっちゃって、
今年は”きゅうり作り”の張り合いがなくなった」
「お父さん、なんだか生きる気力が抜けちゃったんだ」

 

と、いつになく元気がなかったのを覚えています。

 

 

「何を弱気なことを言ってるの!お父さん!」
と、はっぱをかけながらも、
どこか違和感を感じたのは、
まるでわたしと同じかそれ以上に
ベルが亡くなったことに対して
父がメランコリックに見えたことでした。



こうなってみて気づいたことですが、
ベルの死は、父にとっても
大きな喪失だったのかも知れません。

 

 

どちらかと言うと、
家族の中では孤立しがちだった父に対して、
ベルはそんなことはお構いなしに
懐へ無邪気に飛び込んでゆくような犬でした。

父が丹精込めて育てたきゅうりを
一番おいしそうに、もっともっとと
ねだってまで食べていたのはベルでした。

悪戯をして叱られても、
次の瞬間には忘れて
またすぐに父の膝の上で
笑顔で甘えていたのがベルでした。

 

 

わたしが思っていた以上に、
父がベルに愛着を持っていたとしても
何ら不思議はないわけです。

 

 

わたしは、自分の悲嘆のケアに精一杯で、
父の悲嘆には、まったく気がついて
あげられていなかったのかも知れません。
うかつでした。”違和感”はしっかりと
受け取っていたのに・・・。

 

 

悲嘆(グリーフ)を経験した後、
すべての人がそうなるとは限らないけれど、
精神のみならず、
身体にもその症状が及ぶ場合があると
様々な文献を読み知りました。
事実、夫は胃腸に、
わたしは腰に原因不明の異変を感じ、
今は落ち着きましたが、
ひやりとする場面があったのです。

 

 ひょっとしたら、
今回のまったく予期しなかった
父の脳梗塞もベルの悲嘆に起因する可能性が
あるのではないか?
そう思えてならないのです。

 

 

 先ほど、夕方の面会に行って
帰宅した母と少しだけ電話で話しました。

 

父には会えず、
受付で病棟の看護師さんひとりと
3分ほど会話をしただけで帰されたそうです。

 

 

 「お父さん、おしっこの感覚が分からないみたい・・
カテーテルを入れてるんだって。
どうしよう、退院後、オムツ生活になったら・・」

 

 

3分の会話で得た情報が、

 

「おしっこの感覚が分からない」

 

と言う曖昧な1点のみだけですから、
そこから想像できる未来が
芳しいことであるはずがありません。

 

 

 ましてや、家族と話せず、
病院でたったひとり過ごしている
父の心情を思うと、
わたしも何とも歯がゆく、
居たたまれない想いです。


一昨年入院した折には、
毎日1回は必ず母の元に電話が来ていたのに、
今回まったく連絡が来ないのは
どこか身体に不具合が起きているからなのか?
携帯電話の使用方法が認識できない容態なのか?
それさえも分からないのです。

 

今日、居ても立っても居られず、
父に手紙を書いて、速達で発送しました。

 

 

今、わたしにできること・・・
それはとにかく、父に言葉をつなぐこと。

 

たとえ、封筒の中身を見れないとしても、

「ここにいるよ」
「帰りを待っているよ」
「回復を祈っているよ」
その証を、できるかぎり、全力で届けよう。

 

 

そう、わたしの人生からの問い
いま、強いてあげるのなら、これではないか?

 

 

「自分の人生はひとりぽっちだった」
そんな風に思わせたまま逝かせてたまるものか!

 

 

 


いま、世界中で
同じ気持ちを抱えている人が
一体どれくらい居られるのか分からないけれど、
わたしも、あなたと共に、がんばります。
だからどうか、あなたも、がんばって。

 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

2か月遅れの誕生日プレゼント

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昨年の10月末ぐらいのこと。
「今年はどうする?何か欲しいものとかある?」
そう夫から再三訊かれ
何となく保留のままだった
誕生日のプレゼント。


そのころの私は、
ベル(愛犬)の介護のことで頭がいっぱいで
自分の誕生日のことなどに
思いを巡らせられるはずもなく、
「で、何にするか決まった?」
と返事の催促が来るたびに、
「えーーあーー、うーーん」
と生返事をしながら、
心の中では、
「元気になったベル」
「ガンから奇跡的に回復したベル」
の他、いま欲しいものなど何一つないと
必死に叫んでいたように思います。

 

12月、月が改まり、
ベルが亡くなった後は、
「誕生日とクリスマスプレゼント
一緒になったけど何がいい?」
「どうせだし、普段買わないような
少し気分が上がるヤツとか、どう?」
「ブランド物のバッグとかは?」
と尋ねてくる夫に、再び、
「えーーあーー、うーーん」
を繰り返し、やはり心の中では、
「生き返ったベル」
「ベルと一緒の生活」
の他、いま欲しいものなど何一つないのにと
あからさまに気乗りしていなかった自分が
(元気のない私を気遣ってくれている夫には
悪いと思ってはいましたが)
相変わらずそこには居りました。

 

 

 

ところが、昨日の朝。

 

 

普段はろくに中身も見ないで捨てていた
ジャパネットの冊子が妙に気になり、
ぺらぺらとめくっていると、
つと私の視線を引き付けた
ある商品ページがありました。

 

そこに載っていたのは、
「電子辞書」でした。

 

 

(そう言えば、俳句をしている先輩たちが皆、
句会での必須アイテムとして
電子辞書を挙げていたなあ・・)

 

 

そんなことを思い出し、
商品説明をよくよく読んでみると、
かの理由がすぐに分かりました。

 

 

 

角川の大歳時記を始めとした
複数の出版元の「歳時記」が
電子辞書の中にはすべて体よく
格納されているのでした。

 

 

 

カラー版新日本大歳時記5巻セット (歳時記シリーズ)

カラー版新日本大歳時記5巻セット (歳時記シリーズ)

  • 発売日: 2000/08/17
  • メディア: 単行本
 

 

当たり前ですが、
公式の句会にわたしが以前購入した
講談社の分厚い歳時記5巻を持っていくことは
重さ、スペースを考えた時に無理があります。

 

けれど、句会では参加者全員が、
他人の句を詠んで
票を投じるスタイルのため、
分からない季語は
その場で自分で調べなければいけません。

となると、歳時記は必須です。
それも、文庫本仕様の簡易版では
掲載されていない
マニアックな季語も多いですから
どうしても本格的な合本の
大歳時記が必要になると言うわけです。

 

 

「ねえ!誕生日プレゼント、決めたよ!」

 

 

目を覚ました寝た子が
乳をねだりはじめたかのような
突然の要求に戸惑いつつも、

 

「そ、そっか・・ま、いいんじゃない?」

 

 

と、詳細は訊かずに
購入手続きを終えた夫は、
伝言ゲームで預かった内容を
次の人に伝えるまでは忘れまいと、
必死に覚えていたけれど、
伝え終わったのでようやく忘れられると
安堵した人のような顔をしていました。

(2か月も、引っ張ってごめんね。)

 

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昨日注文したばかりだと言うのに、
今朝早々に届いたそれは、
72万円分の各分野の辞書が
一挙に納められていると言う
重厚な触れ込みの割には、
思いのほか軽く、
スタイリッシュな風貌をしており、
まだどう接して良いやら
距離感をつかみかねています。

 


今年は大学をはじめ、
”書くことを営む場”へと赴く機会が
一段と増えてきそうな気配がするので
少しずつ仲良くなってゆきたいと思っています。


 

 

↓   ↓   ↓
わたしが購入した電子辞書と同じ仕様だと思います。
(ジャパネットのはこれに+したオリジナル機能が満載でした。)
 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

 

お題「#買って良かった2020